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今日の講座会場、今まで文学講座を開いたことがなく、人が集まる?か、聞いた人がおもしろいと思ってくれるか、ちょっと心配をして?いた。
受講生は16人。 古典に興味のなさそうな人から、私の講座を何度も受講に駆けつけ?てくれるリピータまでいろいろ。 2時間の講座では、古今和歌集仮名序の文学的価値、万葉集に出て?くる「たまな」ちゃんの話(胸が大きくて腰の細い、まるで「スズ?メバチ」みたいな体型だ、と歌っている)、「さつきまつ」の和歌?と伊勢物語の同じ内容について、などなど。 小野小町と「まちばり」の語源が一緒である、という説とその由来?について、などを話した。また、行平(業平のお兄ちゃん)と「ゆ?きひら鍋」について、など。 伊勢物語の「都鳥」が、実は「ユリカモメ」だ、と話したら、みな?さん驚きと同時にとても喜んだ。 中でも、今回の目玉は、「古今和歌集 仮名序」。 「やまとうたは ひとのこころを たねとして」で始まるこの名文?は、文学の革命的位置づけである、と話した。 明治の「言文一致体」運動があったが、それと同じことを紀貫之は?やったのだ。当時、文字文化は漢字がまともな文字であり、記述す?るのも漢文が正式。これを、勅撰和歌集の冒頭で、ひらがなでしか?も和文で書いたのである。 これは、現代に置き換えると、公式文書に絵文字や「あけおめ」の?ような若者言葉を駆使して後世に残したようなもの。その、革命的?覚悟たるや、すごいものがある。 実際、もし、原発関連のニュースを 「ドッヒャー、超マジ、信じらンない数値が出ちったよ@_@」 などと書いたら、書いた本人、なんか頭のねじが抜けたのじゃない?か、と思われる。それくらい、当時の知識人にとってひらがなで、?日本語で天皇から申し遣った和歌集の冒頭を書いたのは、暴挙に値?する、といっても過言ではない。 残念ながら、私はまだ生まれていなかったので、この話が本当かど?うかは、定かではないのですが・・・ と言ったとたんに、部屋が爆発するか、と思うくらいの笑い声が響?いた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年01月16日 19時40分58秒
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