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2013年06月28日
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村上春樹の最新の著作
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」について。

これは、福島県の置かれている状況を語ったものだ、と思う。

以下は私の感想である。
※作者のことを本来なら「村上春樹氏」と呼ぶべきであろうが、
ここでは、「村上春樹」と呼び捨てで記載する。
※色彩について等の記述について、ハンディのある方への
中傷等の意図はまったくないことをここに明記する。

「色彩を持たない」とは、感情に蓋をして、平静を装う、
傷ついた状況を示している、と思う。
人は、喜び、幸せであるとき、世の中が美しく生き生きと
感じられる。逆につらいときには、色は褪せあるいは色が
抜け落ちたかに感じられる。

主人公は、見に覚えのないことで友人四人から絶交された。
このことに傷つき、それでも生活をしていくために
感情に蓋をした。

これは、福島の現状ではないか。
つらいこと・悲しいことがありすぎるほどある中で、それでも
前に進んでいかなければならない。そのため、感情に蓋をして
あたかも平静でいるかのように。
もちろん、福島に住む人たちは、個別には、喜びがあり、生き生きと
した感情の起伏がある。ただ、福島県、という状況の置かれた
状況は、色彩が抜け落ち、それでも健気に必死に立ち上がろうと
あえいでいるのだ。

友人四人は、進学のため地元を離れた主人公とあるときまでは
親しくつきあっていたが、突然、絶交を言い渡す。
これは、その中の一人の間違った情報のためである。

一人は、この情報をそのまま信じて絶交する。
一人は、最初は情報を信じるが、途中からおかしいと気づくが
自分の現在の生活を乱さないために主人公との絶交状況を続ける。
一人は、情報が間違いであることを知っていながら、四人の状態を
保つため、絶交状態を続ける。
(情報の元となった、最後の一人は、主人公が絶交の理由を調べる
ときには故人となっている)

これは、福島の原発事故および、現在の福島第一原発の状況や
放射能による風評被害についての、他県の人たちの心のありようを
あらわしていると思う。
多くの、福島の事故について心を寄せ、忘れないでいてくれる人たちは
主人公に重ねられるが、無関心であったり、自分の今の生活を大切に
することを優先したりする人たちは、この、四人の友人に重ねられると
思っている。

最後に。
主人公は、戸籍上は「多崎作」であるが、本文中、主人公を示すのは
「つくる」とひらがな表記である。
これも、福島をフクシマとあらわすことに重ねられると思う。
記述一つで、その持つ意味・雰囲気がこれほど変わるのか、と思う。

村上春樹は、1999年文庫本発表の
「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」
の終りのほうで、原発について
「日本が原発をやめた経済大国として立国していくことが
世界の尊敬を集めることだ」といったような内容のことを
書いている。また、2011年カタルーニャのスピーチにおいても
同様のことを語っている。

以上は、完全に私の勝手な感想である。
齟齬・語弊表現があるとは思うが、私の伝えたいことが
解っていただけたら幸いである。

現時点で、私の中で、村上春樹の小説で一番好きな作品、
これが、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」である。





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最終更新日  2013年06月28日 06時04分38秒
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