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カテゴリ:お局真紀子の素敵な毎日☆生活編
映画「天空の蜂」を見てきた。
郡山での上映がなかったので、シルバーウィークを 利用して、福島市に行って、家族みんなで見た。 映画は、原作とは大幅に変えてあるところがあった。 が、それはそれで非常に見応えがあった。 文庫本発売(1999年)当初、原作を読んだときには、 「東野圭吾は、自分が原発の構造を調べて ただそれをひけらかしたくて書いた小説 じゃないか?」 と思うほど、原発構造や放射性物質のことを 事細かくかいてあり、サスペンスとしての 内容よりもその詳細な原子力発電(核発電)に ついての記述に閉口したものだった。 書かれてある中にしばしば出てくる単位も 耳慣れないもので、そこそこ面白いとは 思いながらも、強くお勧めする作品とは 思わなかった。 しかし、不幸なことに、核発電所による 放射性物質が生活に不安を与えるような 事故が2011年3月11日の地震で 発生してしまった。 改めて、「天空の蜂」を読むと、核発電所の 構造の違いがよくわかる。 もんじゅ型の核発電所は、使用済み核燃料棒を 地下に保管している。 しかし、多くの核発電所施設では、 福島第一原発の、あの姿をみれば わかるように、上階に保管している。 もし、上空から巨大な落下物が落ちてきたら 使用済み核燃料棒はむき出しとなり、 放射能が拡散する。 戦闘などによる飛来物のみならず、 航空機事故による落下、火山の噴石、 隕石など。 「天空の蜂」の中で、犯人は、それを見越して 放射性物質の拡散の可能性の低い、もんじゅ型 核発電所を狙って、その上空でヘリをホバリング させたのだ。 (映画や原作ではもんじゅ型核発のことを 『新陽』と呼んでいる) 核発電所に巨大落下物が直撃したときの 恐怖を思い知らせ、核発電所の危険を 知らせたい、と思ったのだ。 この作品で一番強く印象に残ったのは、 「沈黙する群衆」 原発賛成・反対、いずれにしても 声を出して意思表明する人よりも、 その意思表明をする人に隠れて 沈黙を決め込む群衆がこわい、と。 何かトラブルが起こったら、自分は表面にでずに 書き込みをしたり無言電話をしたり。 「自主規制」というのもこれに類するように思う。 行政や企業の中で、特に明文化されたものは ないが、その場の雰囲気をくみ取って自主的に 何かを行う、あるいは行うのをやめる、というのが 自主規制だ。 規制したことにトラブルが起こったとき、 無言で指示した当の本人は 「そのように指示したことはない」 ですり抜けてしまう。 映画「天空の蜂」でも、核発事故、という ショッキングなテーマに隠して、実は この 「沈黙する群衆」 のこわさを伝えているように思った。 映画・原作の最後で犯人の声明として 『沈黙する群衆に、原子炉のことを忘れさせてはならない』 と記している。 『子供は刺されて初めて蜂の恐ろしさを知る』 この言葉が、作品の題名に呼応している。 原作・映画、ともにお勧めである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年09月30日 06時31分41秒
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