あれから、一週間。
南三陸町のボランティア支援活動から帰ってきて、
また、いつものようにあわただしい毎日がはじまった・・・。
あの体験は、自分の人生観そのものを変えるような大きな出来事だったと思える。
この一週間、毎晩同じような夢を見る・・・。
正座をしたおじいさん。
左右それぞれの膝の上に握りこぶしを置いて、
雑念を追い払うかのように、固く目をつぶって堪えている。
毎晩、このおじいさんが自分の夢の中に現れる。
このおじいさんの正体は知っている。
南三陸町ボランティアセンターがあるベイサイドアリーナの避難所にいたおじいさんだ。
・・・避難所の中にお邪魔したときのこと。
この避難所は、もともと総合運動場の体育館だから、大きなガラスの正面のドアを開けると、まずロビーがあって通路があり、メインの体育館に通じている。
入口のドアを開けたときから目の前に広がった光景にガク然とした。
体育館だけでは避難してる人達を収容しきれないみたいで、ロビーやら、通路に、段ボールで仕切りを作って生活している家族が大勢いるのだ。
人が二人、横になったらいっぱいになってしまうような狭い場所に
床から40~50cmくらいの段ボールの仕切りで隣との境界線を作っている。
無邪気に走り回る子供たち。
朝ごはんを食べてる家族。
横になって、ぼんやりしている男の人。
隣同士、談笑している主婦。
まったくプライバシーのない猥雑とした雰囲気の中で生活している。
みんなの目があるから着替えることもできないので、共同の更衣室があり、
トイレは建物の外にある仮設トイレ。
水もないし、お湯をわかすこともできないから、一日3回、自衛隊がお湯を持ってきてくれるので、
各自、ポットやヤカンでもらいに行くような生活。
避難所のドアを開けたロビーのすぐ手前に、老夫婦がいた。
朝晩の冷え込みがつらいのに、冷たく固いタイルの上に毛布をひいて、その上のわずかな敷地で暮らしている。
おばあさんは、足を前に投げ出して、湯呑み茶碗でお茶を飲んでいた。
おじいさんは、まわりに聞こえるくらいの音量で浪曲のカセットテープを聴いていた。
正座をして、握りこぶしを両膝におき、雑念を払うかのごとく固く目をつぶっていた。
財産も津波に流されてしまい、体力的にも過酷で、プライバシーもない避難所で一生懸命雑念を払って堪えているように見える。
なんにもなくなっちゃった現在、
明るい未来に希望を持ってがんばりましょう!
なんて言われても無理だよね。
財産もなんにもないんだもん。
あまりにもかわいそすぎるよ。
この光景を見ただけで、足がすくんでしまい、涙が頬を伝ってしまった。
ボランティア支援してても、自分一人じゃたいした事できないけど、
みんなの力であの避難所の入口付近の老夫婦だけでも助けてあげることができないだろうか?
はやく仮設住宅に入ってもらうことができないだろうか?
じゃあ、具体的にどうすれば?
・・・そんなことが脳裏によぎる毎日。
なにもできない非力な自分がつらい・・・。
この写真は、ボランティア活動に行った小学校の校庭に植えられていたチューリップ。
このあたりは、イチゴの名産地らしいけど、津波の海水にやられて、しばらく農作物ができないだろうと言われている。
子どもたちが植えたこのチューリップだけでも、未来に向かって、大きく伸び伸び育ってほしいですね。