2011年になり、はやくも梅雨があけてしまうような季節になりました。
自分たちの生活スタイルまでも変えてしまうような東日本大震災から、4ヶ月経過しました。
東北方面の被災地では、町のガレキ撤去作業が、まだ30%しか進んでおらず、あと3年かかるとか、
集められた義援金は、総額のたった20%しか配布されていないとか、
避難所で体力や気力の限界で息を引き取ってしまうお年寄りだとか、
テレビの報道で見るかぎり、大震災後の被災地は大して変化がなく、胸が痛くなるような悪いニュースばかり聞かれます。
自分も4月の終わり頃、宮城県の南三陸町へ行き、短い間でしたが支援ボランティア活動に参加させていただきました。
戦争で爆撃でも受けたのかと思えるような変わり果てた町。
とても文明がある国とは思えないような朽ち果てた町並みが続くゴーストタウン。
避難所で段ボールで囲いを作った場所で暮らす人々。
ラジカセで浪曲を聴きながら、握りこぶしを膝に置いて、正座をしたまま固く目をつぶり雑音や雑念に堪えている老人。
あの老夫婦は、仮設住宅に入ることが出来ただろうか?
それとも、今でもあのときと同じ生活を送っているのだろうか?
再び、被災地に出向いて、支援ボランティア活動に参加したいけど、本業の仕事もあるため、
まとまった休暇が取れず行動に移せない事がジレンマに感じます。
時の波間に、忘れて風化させちゃいけない出来事。
現在進行形で、まだまだたくさんの問題点がある被災地。
今の自分に出来る事・・・。
東北地方に比べたら被害は少ないのですが、関東地方の大震災の被災地になっている地域に住んでいる自分。
今回の震災で経験した事や目のあたりにした事実を後世に伝えていくことが使命じゃないかと思います。
今回の日記は、あの関東大震災の影響で被害を受けた千葉県の海岸付近の街の様子を写真画像でご覧いただけたらと思います。
(写真の枚数が多いので、今回はパソコンで見ていただいたほうが良いと思います)
大震災が起こり、都市の機能が麻痺したので『東京駅』で被災した自分は、千葉方面へ歩きました。
6時間歩き続けた自分は、船橋ららぽーとの前で、やっと電話の繋がった仲間にクルマで迎えに来てもらい、深夜に帰宅しました。
一晩明けて、2011年3月12日。
職場へ向かうため、家を出てみると、外は大渋滞。
この列に並んでみたけど、1時間で500メートルしか進まないような状況。
2時間並びましたが、あきらめて家に引き返し、クルマからチャリンコに変えて再出発。
チャリンコをこいで向かった十数キロ先の職場付近。
昨夜は夜遅く、暗くてよくわからなかったが、太陽の下に照らされた街は、大きく変化していた。
傾いて倒壊しそうな電柱、ひび割れた道路、液状化により溢れ出た水や砂泥。
陥没したアスファルト、盛り上がったマンホール、倒れかけた自動販売機。
渇いた砂が風に舞い、砂嵐に包まれた街になっていた。
泥に埋もれた自転車やバイク。
しばらくすると口の中は、砂でジャリジャリしてくる。
コンビニの弁当は売り切れ、断水のため、コインランドリーは長蛇の列。
砂だらけの砂漠のような街並み。
・・・ここから、この街の様子を写真画像で見ていただきますが、
この街の様子を見ていると、なぜか頭の中でかかる曲があります。
20年以上前の古いヒット曲です。
歌詞の内容も、この震災にまったく関係ないような感じですが、なぜか頭の中でかかります。
普段、外では人混みにまぎれはしゃいだりしていますが、帰宅すれば独りぼっちの寂しい現実があり、
今回のような世の混乱を招くような震災があり、不安な気持ちが入り混じり、
これからどの方向に向かっていけばいいのか迷い、なにか普遍的なものを信じたいと思ったとき、この曲が浮かんできたのかも知れません。
写真の画像とは、ミスマッチでアンバランスかもしれませんが、この曲と共に、ご覧ください。
君だけに ただ 君だけに
ah めぐり逢うために
僕はさびしさと
ともに生まれたよ
夜が星空を ah 海が風
ah 抱きしめるように
僕は君だけを
抱きしめるために生まれて来たよ
君が見つめると 僕の胸の中は
星が渦を巻く 銀河に変わるよ
愛しているんだ・・・
君だけに ただ 君だけに
ah 届く悲しみを 連れて僕は今
星くずのように君に降りてく
I Need You It's So Simple Word
もしもさよならの妖精たちが来て
僕にキスしても 消せないせつなさ
My Sweet Heart
君だけに ただ 君だけに
ah めぐり逢うために
僕はさびしさとともに生まれたよ
Only You
星の神話たち 愛をみちびいてゆく
いつも君だけに ただ 君だけに
ah めぐり逢うために
僕はこの惑星(ほし)に
さびしさを抱いて生まれて来たよ