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カテゴリ:私のこと
先日からちょっとここにも書いていますが、今年度3月をもって職場を引退することにしました。
きっかけは去年の3月。 旦那と話したことから決意しました。 復帰してから毎日がめまぐるしい日々。精神的にも随分参ってました。 そんなとき旦那と話をして、今の条件で共働きしていくのは難しいだろうという話になりました。 …というのも、やはり、おじいちゃんとおばあちゃんへの負担が大きいからです。 去年の12月に祖父母はお店を閉めました。祖父は70歳を機に今までのお店のことばかり考えて生活してきたものを吹っ切って自由に残り少ない日々を過ごしたいとのことでした。 残りの人生を自由に生きたいということです。祖母と旅行に行ったり、趣味に没頭して楽しみたいんだそうです。 でも、今二人は私たちの子どもたちの面倒で負われています。保育園に毎日お迎えに行き夕飯を食べさせ、時間に制限された生活。 祖父母からも直接には言われないけれど「帰りが遅いのは子ども二人にかわいそうだ。せめて6時までには帰ってあげないと」と言われていました。 旦那は小さいときからそんな自営業の子として育ってきたため日曜日も家族でどこかへ行くこともなく寂しい日々を過ごしてきたそうです。 だから、出来るだけ自分たちで出来る範囲内で生活していきたいとのことなのです。 要するに、おじいちゃんたちに頼らず自分たちが子どもたちの負担にならない範囲内で共働きをしていきたいということでした。 わかります。今の生活は子どもたちにとって納得いく生活ではありません。 夕飯はおばあちゃん家。帰りは8時ごろに私か旦那が祖父母宅へお迎え。 そして、お風呂に入って寝る。 この生活では平日の子どもとの関わりが希薄です。 私は、保育をして保護者にこうしてあげて欲しいって伝えている身なのに本人が何にもできていない。 食育なんてできてない。 ふれあいなんてできてない。 納得いく関わりが出来てないのです。あ、でも全然できてないのではなく、努力はしているんですよ。 そして職場でもやはり日々の保育や保育環境など納得できるものじゃないし、仕事にしろ家庭にしろ何もかも中途半端な私なのです。 そんな中、今年は大きな役が当たってしまい、地域との交流や保幼小中高の交流など保育以外の場にも出る機会が多くなり帰りは22時前になったりする日もありました。しかも、場違いで私が一番最年少。周りは教頭とか校長とか偉い様方もたくさん出ている場です。 私はそれにも納得がいきませんでした。 小さな子が居る家庭にも関わらず配慮してもらえなかったこと。 今まで続けてきた先輩方は同居で助けてもらい、家に帰るとご飯も作ってもらっていていくら残業しても子どもを見てもらえる環境で仕事が続けられたのとは違い、核家族も増えてきているのだから…。もっと配慮していかないとこの先続けられる人が少なくなってくると思うのです。組合にこの話は出していった方がいいのかもしれないけれど…。 とにかく、そんな働く条件で納得いかないのでこのまま続けていくのは難しいかなと思いました。 私は、もっと自分の子どもにゆったりとした気持ちで子育てをしたいと思っています。 だんだん、二人も成長して楽になったのは確かです。 でもこれからは家庭に入り、子育てをゆったりとして、家事もしながら新しいご近所さんとの交流を深め地域にももっとでていきたいなと思っています。 ただ、不安なのは生活していけるか…。もちろん、お給料が半分減るのだから。でも、もう一度家計を見直してやっていくしかありませんね。 周りはやはり公務員だから辞めるのもったいないといいます。 私は公務員がしたかった訳ではありません。保育士がしたかった子どもに携わった仕事がしたかった。それだけです。 だから、後悔はしません。 多分、今の職場を引退しても4時間くらいの保育士パートへ出かけると思います。今は保育士さん不足しているんです。だから、どこかでは雇っていただけるかなと思ってます。そして、保育の仕事はこれからでもできるかなって。 子どもが大きくなるまでは家族の負担にならない程度で働いていきたいと思います。 こう決断して、夏ごろから所長にヒヤリングを重ねてもらってました。引き止めても下さっていたけど来年度の採用試験までにはしっかり届けも出しておいた方がいいと思い、10月には届けも提出。 今はまだ所長くらいしか知りません。 こないだ同期には話しましたが、そろそろ同じクラスの先生にも伝えていかないといけないかなと思っています。 同じクラスの先生といえば…いろいろあった1年でした。あと3ヶ月は平和に仲良くやっていきたいなと思います。保護者の対応にも大変でした。もう平和な3ヶ月であってほしい…。 お願い!と切実な思いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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