死者の学園祭
深田恭子出演作。粗筋・感想 原作は、確か長者番付常連作家赤川次郎の初の長編作品だったから、かなり昔のものになる。なぜ今更? と疑問に思う。発表当時は納得がいくであろう内容も、現在では不都合になる。 例えば被害者の女子高生は、フロッピーディスクに保存され、他人には観られたくないデータ(演劇の台本)を、犯人が奪い返す為に殺した……という設定になっているが、電子データはコピーがいくらでも利くので、プロッピーを一枚奪い返したくらいで安心していてもしょうがない。コピーを全て回収し、元のデータを保存してあるハードディスクも奪い、消去しなければ。しかし、犯人はハードディスクについてもコピーについても心配している様子はなかった(原作が発表された時点ではパソコンは普及していなかったので、原作では単なる台本だったと記憶している。台本の場合、当時はコピー機がさほど普及していなかったから、複製は作り難い訳で、一つ奪ってしまえば済む)。 また、絵画の贋作が動機となっている。原作の発表当時は贋作なんて簡単にできたのかも知れないが、今は使われている絵の具の成分やキャンバスの材質の分析を詳細に(顕微鏡レベルで)行うので、単に絵が「そっくり」だけで贋作が本物として通ってしまう可能性は低い。 ……という具合に、おかしい点がいくつもある。 以前から思っていることだが、日本の映画制作者やテレビ番組制作者は、自分らが送り出す作品が社会に及ぼす影響に関してまるで考慮しないらしい。映画の最後の場面で、深田恭子は自転車をこいでいるのだが、その際、携帯電話が鳴った。深田恭子演じるキャラクターはどうしたのかというと、自転車をこぎながら携帯で会話するのである。携帯を使いながらの運転の危険性が叫ばれている中、なぜこんなことさせたのか。自動車ならハンドルは片手でどうにか操作できるし、ブレーキは足で操作するので、それでもいくらかマシだが、自転車はブレーキを手で操作するため、急停止がほぼ不可能になる。携帯を使いながら乗ることは非常に危険なのだ。深田恭子が映画でやっていたからといって誰もが真似する訳ではなかろうが、もう少し考えて欲しい。 本作品のタイトルは「死者の学園祭」となっているが、「ホリプロ看板娘深田恭子プロモーションキャンペーン」に改めるべきだろう。それくらい主人公を演じる深田恭子が登場する。その為、他の出演者だけが登場するシーンは数えるほどしかない。当然ながら、主人公以外の登場人物は深く掘り下げられないので(主人公もそう深く掘り下げられてはいないが)、真犯人や真相が明らかになってもまるでピンとこない。というか、推理劇の部分は取ってつけたようなものに感じる。 深田恭子の可愛い顔が飽きるほど拝めるので(実際に見飽きた)、フカキョンファンには必見の映画だが、自分みたいに名前と顔を一応知っているという程度の者にとってどうでもいいような作品である。 本作品は「仮面学園」との二本立てになっている。一本分の料金で二本観られるので(割引券を買えば更に安くなる)、観てしまうのだが、バーゲンとは言い難い。人気blogランキングへ関連商品:死者の学園祭