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カテゴリ:野毛
横浜の常盤町で生まれ、横浜小学校、港中学を卒業した父は半世紀以上前に横浜を離れたせいか、今でも「しょうせん」「なんきんまち」である。
もう40年近く前、家ですき焼きをすることがあり、お祝い事でもあったのか、肉は「たけうち」でと言うことになった。中学生になった私がお使い役に、でも一人で横浜に行くのは初めてであった。 横浜に着いたら、「しょうせん」に乗り換えて関内で降りて、馬車道の交差点を桜木町方面に向かえとのこと。でも横浜駅に着いたらどこを見ても「しょうせん」と読める漢字がない。関内、桜木町、と言う名前が頭にあったので事なきを得たが、私も根岸線のことを地元では「しょうせん」と言うのだろうなどと深く考えもしなかった。 「しょうせん」は「省線」で、省は鉄道省の省だと知ったのはだいぶ後になってからである。 その「たけうち」、子供の頃から肉は「たけうち」か「すえひろ」と聞かされていたので 家内との初デートの時、横浜でお肉をご馳走すると誘って、連れて行った。 なのに定休日。あわてて馬車道の「すえひろ」に向かったが、ここは開いていた。 今から7年ほど前、あれから一度も「たけうち」に連れてもらってない、と時々ちくちく刺す家内と「たけうち」へ。でも入り口で値段を見たとたん、主婦がすっかり板に付いた家内が、こんな金額出すんだったらうんといい肉買って、家でみんなで食べようと言い出して入らずじまい。 そして昨年の暮れ、今度は値段など見ないで、まっしぐらに入ろうと二人で決意を固めながら「たけうち」へ。 なのにその「たけうち」がない。 仕方なく、野毛のお寿司屋さんへ。 そこの若いご主人に「たけうち」のことを聞いてみたが、知らないとのこと。 ちょっとお袋に聞いてみますとわざわざ奥にいた母親を呼んでくれて、消息が分かった。 数年前に売りに出ていたそうだ。 たまたまお客さんで来ていた70過ぎの男性も話しに加わり、有名なお肉屋さんだったのにとしばし昔話に。 入った店は「錦寿司」、とてもアットホームでおいしいお寿司屋さん。 すっかり気に入ってしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.11.24 10:48:40
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