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カテゴリ:野鳥
学生時代、大学の野鳥の会に所属し、全国に野鳥を見に行っていた。卒業後もたまに昔の仲間と宮城県の伊豆沼などには行ったこともあるが、その後全くと言っていいほど行く機会がなかった。
今日、千葉県市川市行徳に行ってきた。昔「新浜」に鳥を見に行くと言うと東西線の行徳駅で降りて、駅から海に向かって歩き、後猟場を覗いてから江戸川放水路まで行き、川沿いを東西線の高架の下まで歩き、行徳駅に向かうというコースであった。後猟場は、皇太子が雅子様にプロポーズしたか、初デートの場所か、とにかく話題になった場所である。 今は「宮内庁新浜鴨場」と言うらしい。 そのころ履き物は必ずゴム長、何故なら行徳駅の南には家など一軒もなく一面の蓮田。駅から後猟場のこんもりした木々が見え、沖合では埋め立て工事が始まっているのが分かる程度。田んぼのあぜ道を歩き、雨の後など飛び越えられない水たまりを渡るため、ゴム長は必需品であった。 地図を見て多少の予備知識は入れていたので、田んぼの中とは思っていなかったが昔のイメージが湧かない。ビルがたくさん建ち並び、公園の木々なども樹齢数十年と言った感じである。でも30年という月日は樹齢にとっては十分なのだろう。食事をするため駅から離れた駐車場に車をとめたが、わざわざ駅まで行き、昔のコースを少したどってみてようやく得心した次第。 千葉県行徳野鳥観察舎で久しぶりに野鳥を観察。オオタカの成鳥やタヒバリを見た。カモはオナガガモとオカヨシガモ程度。でもタヒバリ、数十年ぶりで見たが、プロミナーの視野に入った瞬間、「タヒバリ」と口から出た。これを昔取った杵柄と言うのだろうか。 その後、船橋三番瀬と言うところへ行ってみた。私が鳥を見ていた頃には稀な鳥と言われた「ミヤコドリ」が群れで越冬しているという。 やっぱり海辺の水鳥の観察にはゴム長は必需品だと思った。ちょうど引き潮でお目当てのシギ・チははるか遠くであった。ゴム長だったら干潟の水たまりなどものともせず、まっしぐらに行きたい場所に行けたのに。 ミヤコドリらしい鳥影もない。 船橋三番瀬、こんな自然が残っていたと喜ぶべきか、こんな所しか残っていなかったのかと怒るべきか。 つい先日、新聞に東京湾に人工の干潟や浜を作るという記事が載っていた。 やはり人間のおろかさに心底怒るべきであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.11.24 10:51:15
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