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カテゴリ:野毛
今日の神奈川新聞に、みなとみらい線が開通してにぎわう中華街、閑散とする野毛地区という記事があった。でも野毛こそ未来を先取りした地域だと思う。野毛地区の再開発が、にぎわい座の入っているあのビルだけで済んで良かった。もし横浜市に十分にお金があって、昭和50年代にでも野毛全地区の再開発が実現していたら、と思うとぞっとする。今の町並みが残ったことは天佑と慶賀すべき事だろう。
野毛にもうこれ以上ハードは必要ない。ハードに資金を必要としない恵まれた地域だ。 必要なのはソフトだ。住む人、商売をする人、訪れる人の野毛に対するそれぞれの意見を集約し、共有出来るビジョンを提示する活動をオープンにし、積み重ねていく工程を話題性を集めながら見せる事が必要だ。ITを活用することも重要だろう。 街づくりは住む人だけで完成するモノではない、訪れる人が楽しんで初めて完成する。 通行客を相手にするのでなく、わざわざよそから来させる魅力とは何だろう。野毛が好きで野毛でいつまでも楽しみたい人が、自分が好きなことを楽しくやりながら、自然に輪が広がっていく。気が付いたら輪の中にいて、街に集う人が楽しんだ結果がそれぞれの社会的自己実現と結びつく。そんな参加型の街づくりが出来るのが野毛ではないかと考える。 かごに乗る人担ぐ人そのまたわらじを作る人、である。行動するのが好きな人もいれば、評論家的に批判するのが好きな人もいる。でも目的が一緒なら、それぞれの立場を認め合い、おおらかに楽しむ大人の心が必要だ。 以前中華街の林兼正理事長の話を聞く機会があったが、印象的だったのは、絶対に行政には頼らない街づくりを進めてきたという自信である。例に出していた話が山下町公園の公衆トイレの立て替え。詳しくは書かないが、自分たちの街づくりは、まず自分たちが金を出してはじめるという当然のことだが、誰もが忘れている基本を貫いている事が素晴らしい。 行政が参加を求めてきたら、野毛好きの人のネットワーク作りの活動資金を補助してもらう。あるいは横浜の歴史散策コースは必ず午後5時に野毛で解散するとか、昭和の横浜を散策する夜の野毛コースを新設してもらうとか、最小限の費用で出来るようなことを頼んでみればいい。野毛に対する免罪符が安く手に入るのであれば中田市長も飛びつくのではないか。 行政主体で屋上屋を重ねるがごとく各種委員会で議論を積み重ねていく街づくりとはおさらばして、ネットワークを広げながら、楽しんで作り上げる。そんな夢も時々語りながらまた飲みに行きたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.11.25 18:01:14
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