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郡山美術館へ 「土橋醇展 パリ、湖南 ―幻想を追って」行ってきました。
郡山市湖南町出身の土橋醇(1909-1978) 10月30日急性心不全のため福島県郡山市の太田総合病院付属さが乃病院で死去した。享年69。 没後初めての展覧会。 戦後のパリで前衛芸術運動の真っただ中にいた彼の画歴を探ります。 1950年代と1960年代にパリを中心に活躍した、土橋醇(郡山市湖南町出身)の回顧展です。 土橋醇は1909(明治42)年8月17日、日本画家の土橋三郎と初枝との間に、東京小石川に生まれた。本名醇一。父の三郎は東京美術学校を卒業した日本画家で華城と号したが、1911(明治44)年に卒業するも、その翌年に紫斑病で28歳の若さで没します。 土橋は祖父母のいる安積郡湖南町赤津(現在の郡山市湖南町赤津)へ転居。赤津尋常小学校、川端画学校を経て1933(昭和8)年、東京美術学校油画科へ入学し、岡田三郎助教室に学びました。卒業後はパリに赴くも第二次世界大戦勃発により帰国。戦後再渡仏し、1950年代に藤田嗣治をはじめ菅井汲、田淵安一、堂本尚郎、佐藤敬らとともにパリにあって、アンフォルメル運動などの影響を受けます。 以降、実景をもとにした抒情的抽象ともいうべき画風で、パリのギャルリー・フリッケーを拠点に、ドイツなどで個展を開催して高い評価を得ました。1973(昭和48)年に帰国。1977(昭和52)年に故郷である郡山市湖南町に自らの設計・デザインで自宅を建てるも、翌年10月30日に同地で没します。69歳でした。 この展覧会では、土橋醇の作品約100点を展示することによって、彼の画業を初めて明らかにするとともに、戦後日本の抽象表現における彼の再評価につなげたいと思います。 郡山ゆかりの画家と言うので楽しみにしていたのですが パリで制作した作品は抽象画が多く、タイトルが「無題」で難しい絵が多い印象でした。 息子の圡橋享氏は映画監督。 作品名を見ると大好きな真田広之主演「燃える勇者」では無いか。 当時、映画館で立ち見してまで見た映画です。 ホントは、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」との同時上映だったから 1982年の邦画で1位だったんだけれどね。 興味ある人は、10月22日までなのでお早めにどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年10月15日 22時31分49秒
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