カテゴリ:エストニア
エストニアは、バルト3国の一番北に位置する。バルト海に面している為にフィンランド湾を通り船が出入りする港町であります。きらりの旅は、この港から【世界遺産】であるタリン旧市内へと歩きたいと思います。
歌の原公園から見下ろした港町へとまいりました。 豪華な客船が沢山横付けしています。 ここはAターミナルです。 タリン港にはA~Dまでのターミナルがあります。 何故だか? 北海道の港を思い出してしまった・・毛蟹は、売ってません! ターミナルにはトイレが左右に1箇所づつあります。 左側の方をお借りしちゃいました・・・ Tallin バス???赤いバスが来るんでしょうか? 港から タリン旧市内の高い塔、すぐ前に見えますね~ ここからは、歩くと10分位で・・・ダッシュで3分 旧市内の端っこ「太っちょマルガレータ」の太い建物にたどり着きます。 旧市内には、意味ありげな・・・名前の建物がいっぱいあります。 「太っちょマルガレータ」 「のっぽのヘルマン」 タリンの旧市内は、タリン歴史地区として1997年ユネスコ【世界遺産】に登録されました。 『歴史』 タリンには、11世紀からエストニア人の砦が築かれておりました。 エストニア人の砦=LINDANISE・・・と呼んでいた。 バルト地方では、十字軍騎士団 の活動が活発になると 1219年 デンマークの王様 により 砦は占領され城が築かれた。 エストニア人は、その城をこう呼びました・・・・ TAANI LINN・・・・(デンマーク人の城)タリン 『タリン』の名の由来もまたちょっぴり悲しいです。 その後 ドイツ人たちが移り住み・・・・ 13世紀半ばは、ドイツ名 REVAL となった。 ハンザ同盟に加盟 ・・・・・ロシアとの貿易の中継地点として栄える。 現在【世界遺産】として残る建築群は、この頃のものであります。 16世紀 リヴォニア戦争により豊かな商業都市タリンは終わる。 商業都市から・・・・軍事的要塞 へと役割を変えてゆく その後 50年間にわたり ソビエトに占領される(社会主義時代) その時代の建物も多く存在する。これは、ロシア文化センター 現在でもロシア人が人口の25パーセントを占めている。 1991年 エストニアは、ソビエトから独立した。 エストニアは、社会主義の時代を終えて16年がたちました。 現在は、華やかな中世ヨーロッパの香りと おしゃれな北欧の香り漂う街にもどりました。 めでたしめでたし・・・という事で・・・・美しいタリンを満喫しましょう なんて~退屈な歴史を理解して街を歩くと・・・・街歩きも100倍楽しいのであります! 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.03.22 02:31:26
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