NINAGAWAマクベス鑑賞記
みなさん、おはようございます。昔見に行った演劇を紹介します。『演劇 「NINAGAWAマクベス」』 蜷川幸雄 / シアターコクーン作ウィリアム・シェイクスピア出演 マクベス 市村正親 マクベス夫人 田中裕子 マルカム 柳楽優弥 マクダフ 吉田鋼太郎 バンクォ― 橋本さとし ダンカン 瑳川哲朗 勇猛果敢な武将マクベスは、ある日三人の魔女から「万歳、コーダーの領主」「万歳、いずれ王になるお方」と呼びかけ、バンクォーには「王にはなれないが、子孫が王になる」と予言し消える。そこへダンカン王の使者が現われ、マクベスが武勲により新しくコーダーの領主に任ぜられたと伝える。魔女の言葉通りとなったことに2人は驚き、マクベスは王になるという予言にも秘かに希望を膨らませる。 フォレスの城に帰還したマクベス達をダンカン王が迎える。ダンカン王は両将の功績を讃えつつ、息子のマルカム王子を王位継承者に定める。予言の実現を危ぶんだマクベスはある決心をする。 マクベスから事の顛末を記した手紙を受け取り、マクベス夫人は興奮する。夫を国王の座につけるべく、王の一行より一足先に城に戻ったマクベスと共にダンカン王暗殺の計画を企てる。一度は決意したものの、内心では罪悪感を覚えて及び腰になるマクベスを叱咤し奮い立たせるマクベス夫人。やがてダンカン王の一行が城に到着し、宴会が始まる。●マクベスについてマクベスの活躍を聞いてダンカン王が「コーダーの領主には決して裏切らせはせん」と言うシーン。これはドラマティックアイロニーですね。また舞台にはマクベスは登場していませんが、観客はマクベスが後にコーダーの領主になって王を裏切る事を知っています。こういうアイロニックな台詞がこの後どんどん登場してきます。3という数字は割りきれません。よい=1悪い=2とするとよいは悪いで悪いはよいが3にあたるのか、つまり3とは曖昧、混沌を意味するように感じました。魔女の数も3人で予言の数も3です。マクベスとバンクォ―にかける予言も第一回目は彼等の現在の地位第二回目は彼等の実現可能性が高い未来になっていて、ここまで聞いた限りではマクベスをぎょっとさせる内容ではありません。3つ目が曲者です。マクベスには「いずれ王になるお方」バンクォ―には「あなた自身は王にはならないが子孫が王になるお方」実現可能性の低い未来ですね。これを言うか言わないか、信じるか信じないかで運命が大きく変わってしまう。そして人間はこの「3の領域」でいつも揺れ動いているようなものです。「Lesser than Macbeth, and greater./Not so happy, yet much happier./Thou shalt get kings, though thou be none」この言葉も皆対になっていて、よく考えてみると幸せなのか不幸せなのかわかりませんね。 マクベスが最初の決断の前にこれだけ迷っていたとは。これではまるでマクベスではなくハムレット。マクベス夫人の見せ場である説得の文章が巧みでつい聞き惚れてしまいます。全て対になっています。「野心はあるけれど悪心は持とうとなさらない」「魚は採りたいけれど手を濡らすのはイヤだ」とどんどん積み重ねていくといかにも卑怯な人間の出来あがり。男のプライドを刺激する作戦に出たマクベス夫人、見事です。 マクベスとマクベス夫人はずっと共犯者なのかと思ってきましたが、本当の共同作業は最初のダンカン殺しだけなのですね。まあこの殺人事件、稚拙は稚拙です。だって城の持ち主が一緒に泊まっているというのにVIP部屋でVIPが殺されて、主がそれを全く知らない。そして「怒りのあまり」と言い訳したとはいえ下手人を殺す。これは「死人に口なし」「疑って下さい」と言わんばかり。そしてラストではマクベス夫人がもうヤバいことを喋りまくってますからね。意外に脆かった共犯者でした。でもこれが鋼鉄の女性だったらまた可愛げがないのです。 マクベス夫人はどこまで許容するつもりだったのだろうか?劇中では明かされませんが、マクダフ殺しは止めていたような気がします。結果的にマクダフの妻子を殺したことが彼の復讐心を煽ってマクベスの死に繋がるのですから。常識的に考えたら人質にするとか懐柔するとかしますね。これは現代的考えなのかもしれません。バンクォ―にしても「子孫が王に」というのは極めて曖昧です。手を汚すのは最終手段として長い年月をかけて誰にも疑われずに葬ってしまう術を考えた方が得策だったかもしれません。最初の予言では「ばかばかしい!」と信じていなかったマクベスですが、次第に予言に支配されるようになっていきます。そして予言に支配され始めた頃から彼の破滅が加速していきます。ただこの予言を出す方も巧いですね。最初にあり得そうな内容をまず差し出して相手の懐に入る。そして段々あり得ない内容を拡大していく。「マクダフには気をつけろ」「女から生まれた者にはマクベスは殺せない」「バーナムの森が動くまではマクベスは負けない」冒頭のままのマクベスであれば、最後の3つの予言は「ばかばかしい!」と笑い飛ばし、勇猛果敢な将らしく城から打って出たことでしょう。しかし彼は完全に予言を信じていたため、勝機をみすみす逸してしまったのです。●NINAGAWAマクベスについて大評判だったという前の版は見ていません。ですから仏壇も初めてです。オープニングで仏壇が開かれエンディングで閉じられることでマクベス達のいるあの世の世界=過去と、私達のいる現在が繋がります。何せ通路を武将達がざくざくと通っていくのですから。観客はただ見るだけでなく、マクベスのいる世界の住人でもあるのです。平さんのマクベスを見ていないのですが、確かに市村さんのマクベスはただちょっと野心を抱いたらその野心のまま転がっていってしまい、自分でも収拾がつかないのだ!というごく普通の人でした。その普通の人が予言やら夫人の囁きやらに背中を押されてどんどん坂道を転がっていってしまう。最後の方は自分から死にたいかのように見えました。彼が死んだ時に赤い月が一瞬にして青くなり、胎児として再び蘇るであろうマクベスを受け入れたかのように感じました。昔蜷川さんの『テンペスト』を見に行った事があります。プロスぺローが平幹二朗さんでその娘ミランダが田中裕子さん。紅一点でした。今回も同じ紅一点ですが役の重さが全く異なります。何せ今回はマクベス夫人。栗原さんの怖さとは違い、威圧的な声ではないのですが「怒らせたら怖い」と感じさせるような声音でマクベスの最初の殺人を後押しする重要な役どころです。一方後半ではマクベスよりも先に神経を病んでいくのですから弱さ、脆さを出していかなければなりません。そのコントラストもよく効いていました。舞台の発声が厳密にどんなものだか知りませんが、市村さんは、私達に背を向けて語っている時の台詞がよく聞こえない時がありました。まあ台詞も最も多いし、一番喉を酷使するのでしょう。バンクォ―役が橋本さとしさんで結構背が高い。勇猛果敢に闘う姿をビジュアルとして見ることで、マクベスがライバル視するだけの武将である、という説得力がよく出ていました。