三年に一度の本祭りとは言っても、地元の人間にとっては当たり前の行事なので特に今まで調べたこともなかったが、この深川祭り、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられるぐらい由緒正しい歴史を持つお祭りであるらしい。知らなかった。
確かに大小併せて120数基の町神輿が担がれ、町内を所狭しと歩き回る勇姿は壮観な眺めだ。まあ実態は単に水を掛け合って『ワッショイ、ワッショイ』と雄叫びをあげているだけと言ってしまえば身も蓋もないけれど、でもその単純なワッショイ祭りだからこそ見ていても飽きないのだ。
元々は担ぎ手に対するお清めの意を込めて沿道の観衆から水が掛けられるために、別名「水掛け祭」とも呼ばれるが、見ていると中には、ここぞとばかりにムキになって思い切りバケツの水を投げつける人も居れば、トラックの荷台に水を溜め込んでホースで掛けまくる頭脳派も居て、人馬一体ならぬ、人+御輿+観衆が一体となって楽しむ壮大なお祭りであることは間違いない。
8月17日(日曜日)
早朝から快音を轟かす花火が連発されると、いよいよ本祭り最終日の御輿連合渡御の開始だ。富岡八幡宮を起点に江戸資料館、清洲橋、永代橋と当ブログで何度も紹介しているお馴染みのホットスポットを通り抜けていく。
ちなみにホームページを読んでいると『清澄通りから清洲橋通りへ、清澄交差点では差し上げ、舞い上げといった技がみられます。清洲橋で差して渡る神輿も見もの』との記述を発見。神輿担ぎにそんな技があるとは知らなかったので、ちょっと調べてみると、意外や意外。知りたい方は以下の文言をクリック。
●素晴らしきかな深川祭
それにしても早朝から夕刻時まで、老若男女が相見(あいまみ)えてワッショイの掛け声のもと、喜怒哀楽そのままに一心不乱に難行苦行の修行僧よろしく担ぎ続ける姿は痛快そのもの。三年に一度の行事であるが故にそうそう楽しめるものではないが、次回参戦を願う方は後方支援部隊、最後尾の旗持ちとして付いていくのも一興かもしれない。
百聞は一見にしかず、ちなみに真夏の宴(うたげ)に酔いしれた人数は読売新聞報道では31万人。それに対して2008年08月01月現在の江東区人口は454,414人。つまり45万人だ。もちろん江東区の外からも大挙して押し寄せているので、全部が全部江東区在住とは言えないが、それでもかなりの人数がこの永代橋周辺に集まったことは間違いない。
Wikipedia(ウィキペディア)によると『文化4年(1807年)年8月19日、深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日に詰め掛けた群衆の重みに耐え切れず、落橋事故を起こす』とのこと。つまりこの写真に写っている永代橋が落ちてしまったわけだ。
当時と今とでは橋の構造が異なるから単純な比較は出来ないが、いかに人気があったかの証左にはなる。栄枯盛衰ならぬ栄々盛々(造語 by B&B)と言っても差し支えないかも。そう言えば知らない顔、結構多かった気がする。
深川祭りの動画はこちらから(撮影時間 1分36秒)
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