Jリーグにも2001年から2003年まで在籍していたので名前ぐらいは聞いたことのある人も多いだろうと思うが、ブラジルのエジムンドは類い希なサッカーセンスを持っていた。柔らかな身のこなしから繰り出す数々のフェイント、ドリブル、そしてシュート、どれをとっても超一級品。当時ブラジルのセンターフォワードにはロマーリオやロナウドなどの大物選手が君臨していたが、それらの選手と比較しても決して見劣りすることの無いレベルの選手だったように思う。
が、それだけのサッカーセンスを持ちながらもサッカーの歴史に名前を残すだけの選手になり得なかったのは、ひとえにその性格による。付いた名前がアニマル・エジムンド。日本語に訳せば動物エジムンド。要するに人間社会の規範を彼に求めるのは無理、動物なんだからという意味だが、その数々の奇行、蛮行を挙げると枚挙にいとまがないので関心ある方はWikipediaを見ていただくとして、中でも世界を唖然とさせたのは1999年、当時所属チームのフィオレンティーナで優勝を争っていたときのことだ。
1969年以来30年ぶりの国内リーグ制覇を狙うフィオレンティーナはエース・バティストゥータが開幕から絶好調。当時世界を代表するフォワードの一人であるバティストゥータを後ろから支えたのはポルトガル代表の10番ルイコスタだが、この二人が織りなすホットラインにブラジル代表のエジムンドが加わったのだから、攻撃陣は豪華絢爛そのものだった。冬のシーズンを首位で折り返し、残すところあと三か月。多くのマスコミがリーグ優勝はフィオレンティーナだろうと囁き始めたときに事件は起きた。
対ACミラン戦でエース・バティストゥータが負傷した。サッカーファンならば誰でも見ただけで重傷、一月以上戦線離脱するのではと思うほどの怪我だったが、バティストゥータ不在はあらゆる面でチームに影響を及ぼした。なにしろチーム一番の点取り屋が怪我で負傷したのだ。フィオレンティーナの攻撃の仕方は至って単純でとにかく最後はバティストゥータにボールを集める。そうすればバティストゥータが何とかしてくれるだろうからというチームだったが、実際それまではバティストゥータの活躍で首位を走っていたようなものだったのだ。が、そのエースが怪我で不在となれば当然のことながら期待はもう一人のブラジル代表であるエジムンドに集まることになる。
バティストゥータが居なくてもエジムンドが頑張ってバティストゥータが戻るまでのつなぎをやってくれれば・・・・30年ぶりの優勝がすぐ目の前の手の届くところまで来ているのだ。エジムンドよ、頑張ってくれと熱狂的なフィオレンティーナのサポーターが期待したのも束の間、当のエジムンドはチーム愛などどこ吹く風で、翌週から始まるリオのカーニバルに出るためにさっさとブラジルに帰国してしまう。フィオレンティーナと契約するときにリオのカーニバル開催時には帰国しても構わないとの一文を盛り込んだために、契約を盾に取って帰国したとの話を聞いたことがあるが本当のところはどうか分からない。が、いずれにしても所属チームの30年ぶりの優勝よりもカーニバル出席という私的行為を優先させたのは間違いのない事実であり、当時はフィオレンティーナ・サポーターのみならず多くのサッカーファンを唖然とさせたものだ。
閑話休題、本日5月10日にサッカー日本代表が発表になるという。日本代表と言われても中村俊輔選手ぐらいしか知らないので、メンバー選考については言及出来る立場にはないが、一つお願いしたいのはエジムンドような規格外、外れた人間も必要であるということだ。多くの日本人はワールドカップとオリンピックを同一目線で見ているが、私に言わせると全くの別物。アマチュアスポーツであるオリンピック程度のレベルの競技目線でワールドカップを見てもらっては困るのだ。高校野球の大会宣言のような『スポーツマンシップに乗っ取り正々堂々と戦います』なんて考えて競技場に立つ選手は皆無だ。建前はスポーツマンシップを尊重しながらも隙あれば寝首を掻こうと監督以下全ての選手が待ち構えている、まさに権謀術数が蠢(うごめ)く魑魅魍魎の世界。
まして南アフリカのヨハネスブルグは"リアル北斗の拳"とも揶揄されるような、世界で一番危険な都市との風評もちらほら聞こえてくる。そんな土地柄にサッカーという戦争をしにいくわけだから、こちらも外れた人間を用意しなくては勝てないだろう。朝青龍程度の素行問題で大騒ぎしている日本人にとってはなにをいわんやと言ったところかもしれないが、世界で勝つということはそういうことなのだ。現在の日本代表程度で百点満点の優等生が11人揃ったとしてもワールドカップで勝つことは無理。三戦全敗を喰らわないためにも、肉を切らせて骨を断つ駆け引きに長けた規格外の、外れた人間を一人連れて行ってほしいと思う。
1998年フランスワールドカップ決勝戦。ブラジル代表エース、ロナウドは決勝戦直前に体調不良で出場出来るかどうか危ぶまれたと聞いている。当時サブメンバーに名前を連ねていたエジムンドはザガロ監督に『代わりに俺を出せ』と直訴したらしい。が、ザガロ監督はエジムンドの申し立てを却下、ロナウドと心中する決意をする。仮にエジムンドが出場して大活躍、ブラジルを優勝に導いたとしても決して不思議ではない力量は持っていたが、ザガロ監督はそう決断しなかった。勝負のあやとはそういうものなのだろう。
蛇足ながらこのヨハネスブルグのFNBスタジアムの外観のカラーリングは特異だ。日本国内の大規模施設や商業施設ではまず見ることの出来ない配色と言ってもいいように思うが、なぜこのようなカラーリングにしたのだろう。調べた範囲内ではどこにもその理由は書かれていなかったが、私にはまさにアフリカそのもの、灼熱の大地を表現しているようにしか見えなかった。なお最後に掲載した写真は"Safe House"である。
●FNBスタジアム
2010年01月23日(土曜日)読売新聞朝刊06頁より引用
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