江戸東京博物館で開催されている『東京の交通100年博』に行ってきた。以下に掲載する新聞広告を見たからだが、目玉はなんと言っても中央に掲載された、今では見ることの出来ない独特のカラーリングが施された都電。古くから東京に住んでいる方ならご存じだろうが、東京で地下鉄網が発達する前までは、この都電が各地の目抜き通りを走っていたのだ。
2011年07月13日 読売新聞・朝刊23頁より引用
片側二車線道路の道路中央に停留所があり、その停留所だけが車道面よりほんの少しだけ高台になっていた。なので都電が来るまでその停留所で待機していたような記憶があるが、停留所幅はどれぐらいあっただろう?それほど広くなかったような気がするが、というのも道路中央に設置された停留所であるのならば両側を車が通行するために安全地帯でなければならなかったはずだが、子供心にも安全地帯だったような記憶がないのだ。おそらく1m~1m50センチ程度の停留所幅で大人二人が並んで待っているだけの横幅は無かっただろう。
時刻表を見た記憶もないのでどれぐらいの間隔で走っていたのかは分からぬが、当時はまだ交通量の少ない時代。歩道で待機して視界に都電が見えてきたら慌てて道路中央の停留所に駆け寄っても充分に間に合う、または待っていてくれる、そんなおおらかな時代だったのだ。
その都電に久方ぶりに乗り込むと雰囲気は当時のまま。9枚目の写真は偶然撮影したものだが、左側、緑色の座席に座っている人の考えていることはおそらく多くの人が分かるはずだ。今では考えられないほどの矮小の運転席、壁から床まで独特の色と香りのする木板で打ち付けられた室内、そして往時を偲ばせる吊り下げ広告。一瞬タイムスリップしたような錯覚に囚われて感慨に耽ったことは間違いないだろうが、この車内には各人の往時の喜怒哀楽が凝縮しているのだろう。
なお撮影禁止のためにここでは紹介出来ないが、もう一つの見物が中央下段の円太郎バス。都電の前身として関東大震災後には市民の貴重な交通手段となったらしいが初めて見た。
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