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テーマ:サッカー日本代表♪(1554)
カテゴリ:┣ ★サッカーについて★
たまにテレビで放送しているバレーボールの世界選手権を見たときのこと。世界チャンピオンのイタリアと日本代表が戦っており、確か1セットぐらい日本が取ったように記憶している。バレーボールは守備範囲外なので外していることもあるかもしれないが、となるとアナウンサーは大はしゃぎ。この勢いを持続すれば、ひょっとしたらひょっとして世界チャンピオンのイタリアを追い詰めることが出来るのでは・・・なんて言い出す始末だ。 ACミランは試合巧者だ。対戦相手が1の力がないと分かれば2の力で勝つ、4の力を持っていれば5の力で勝つチームだ。1の力しかないチームに対して5の力を出すことはない。本気を出して戦うと疲れるからだ。だから1対0のスコアはまるで参考にならない。 彼らが本気を出せばどのような展開になるのか、明日の新聞を読めば充分だろうと思い、他のチャンネルに切り替えてしまったが、もう少しことの本質を見抜いた解説はすべきだろう。アナウンサーと解説者である以上、スポンサーの手前、『なんだ、まじめにやっていないですね』なんて言うのは難しいのは分かるが、正しい分析結果は必要だ。 日頃から欧州各国、スペイン/イングランド/イタリアなどのプロサッカースポーツを見ていると、臨む試合ごとにモチベーションが異なるのがよく理解出来るが、今から10年?15?年以上前だろうか?オリンピックサッカーを見ていたら、日頃からよく知っているプロサッカースポーツの選手がその国の代表としてオリンピックに出ているのを知った。試合でのプレーを見ているとプロサッカースポーツのリーグ戦とは異なり、明らかに手を抜いている。全力プレイで試合に臨んでいないのだ。 以来、他国の代表選手の試合も注意深く見るようになったが、もちろん全力で取り組んでいる選手も居るのは分かるが、かなりの選手が似たり寄ったりでモチベーションが低い。大会の望む前のコメントでは『選ばれた以上は国の代表として一生懸命やります』なんて、甲子園の高校野球の大会宣言みたいなことを言っているが、言っていることとやっていることは全く違う。 ではなぜ欧州では価値そのものが低いオリンピックサッカーに日本がこれだけ熱を入れているのかというと、やはり第二次世界大戦の敗戦後、国土が焦土と化し、絶望にうちひしがれる中で、オリンピック開催に国威発揚と浮揚をたくし、それが成功した原体験が忘れられないからなのだろう。だからその体験者とも言える石原都知事が再び東京でオリンピック開催を唱えるのは心情的には理解出来るが、果たして今現在の若者達がそれに飛びつくほどの憧憬の念を持っているのかは正直疑問に思う。 良くも悪くも現在のプロサッカーは欧州天動説で、欧州を中心に世界が回っている。欧州民族の文化・歴史・伝統・背景・民族・経験が凝縮された欧州プロサッカーは唯一無二、唯我独尊。従って欧州域内で開催される大会だけに権威があり、それ以外のものは全て認めていないのだ。なので価値そのものが低いオリンピックサッカーに情熱を注ぎ込む日本の姿勢を見ていると滑稽の二文字がよく似合うが、本来であればマスコミがそれに言及すべきであろう。 が、敢えてそれを言わないのはやはり業界内で働いている以上、批判や非難の記事よりも提灯持ち記事の方が喜ばれるからだと思っているが、少なくともごくごく普通の人達が読む朝日・読売などの新聞各社は正しいものの見方を掲載して欲しいものだ。やる気のない国が出場している大会で優勝したとしても意味があるが価値はない。 その代表的な事例が男子オリンピックサッカーだと思っているが、正しいものの見方を誰かが教えない限り、その国のサッカーレベルはいつまで経っても上がらないのだ。このブログでは何度か書いているが、その国のプロサッカーレベルと一般大衆のサッカー分析能力は正比例する。 我が子の幼稚園のお遊戯発表会を何度見ても飽きない熱心な親も居るのかもしれないが、一度見れば幼稚園のお遊戯は充分と感じる親も居る。私が見たいのはお遊戯ではなくて、銀メダルを首からぶら下げて歩くなんて恥ずかしいことは出来ないと考える本当のプロサッカー選手なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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