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「月光仮面」の放送開始は、昭和32年(1958)2月
最初は月~土曜毎回10分間の放送だったが、驚異的な視聴率で 間もなく日曜夜の30分番組になった。 白いマスクにサングラス、マント姿の月光仮面は、当時のチビッコの ヒーローになった。 月光仮面ごっこがはやったために、七五三の衣装にもなったという。 作詞家の阿久悠氏は大学卒業時に就職課に行って掲示板で 広告代理店の求人が多いのに気づいて、就職課の人に 「テレビ時代の到来だろうね」と説明したらしい・・・おえおえ! 100社近い広告代理店のどこを選ぶか悩んでいたら、 一社だけ備考欄に「只今全国初のテレビ映画『月光仮面』制作中」と あって、応募、受験、そして合格。 阿久悠氏は、「思えば今日につながる最初の案内人が、月光仮面で あったといえるかもしれない。(月光仮面の主題歌に)先導されるように ぼくは、クリエーティブの世界に入った。 募集の備考欄に『月光仮面』の名がなかったら、きっと違う 道筋を歩いていたに違いない。いわば恩人である」と言っている。 月光仮面は驚異的な視聴率を稼いだが、 子供たちにとってその存在は強烈すぎたかもしれない。 なにせ、月光仮面のマントをみて、マント代わりに風呂敷を 首にまいたら、空を飛べると勘違いして、高い所から飛び降りて ケガをする事故が相次いだ。 これによってわずか1年半足らずでブラウン管から姿を消してしまった。 そういやぁ~アチキたちは仮面ライダー時代で、変身ベルトを したら仮面ライダーになれるとか思って親父に買ってくれぇ~~~ っておもちゃ屋の前の道に寝っころがって、ダダをこねたのを 覚えている。σ(^◇^;;アセアセ 「鞍馬天狗の現代版」として発案され、月よりの使者として 誕生した「月光仮面」のおじさん役、大瀬康一氏は当時21才 無名の俳優から一躍スターに! 大瀬氏は、「道ばたで着替えなんかして、恥ずかしい思いも したらしいが、10分番組のギャラが1回7500円、 2日働いたら大学の初任給で発行されたばっかりの 10000円札が身近に感じた」と言っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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