カテゴリ:役所との交渉
おはようございます!
昨日、来ました役所と隣の工事関係者。 一応工事が始まりますがお願いいたしますということで。 もう土埃の洗礼を受けていますので 「なるべくご迷惑をおかけしないようにします」 の言葉がちょっとそらぞらしいと思いましたが。 それから例の仮の道路に土地を貸す話ですが 結局反対側の学校の土地をほとんど使うことになり 我が家のは曲がり角が鋭角なのでそこだけ貸すことに。 イチジクの木の枝は少し切ってほしいとのことでしたが 枝くらいなら協力しましょう。 その道は我が家も使うことになるのですから。 でも北側の前々から貸すことになっているところはやっぱり貸さないといけませんが。 というわけで一応仮の道路は我が家の犠牲は最小限に抑えられました。 最初からそうすればいいのに、と思わなくもありませんが 皆様にもいろいろ心配していただきましたが このような感じで一応の終結を迎えました。 でも約3年、家の周りは工事関係で静かとは縁遠いことになりそうです。 なんのことだかお分かりにならない方に・・・・・・・・・・・・・ 新居の周囲で公共事業があり 大がかりな工事をしています。 今ある道路がそのために通れなくなるので 仮の道路を作るのに新居の表側(南側)か裏側(北側)かどちらかの土地を貸してほしいと 役所から言われました。 とにかくその道を我が家側に全部出させようという魂胆でした。 父がまだ亡くなる少し前にその話をもってきまして そのとき超お人好しの父なんですが 表側の道の反対側に学校があるので 公共の施設側を使えばいいと話して終わったかに見えたのです。 しかし、父が亡くなって四十九日が済んだかどうかで 今度はいきなり新居に沿うような感じで裏側の土地を貸せと言ってきました。 いい加減人を馬鹿にしているのかと思いました。 父がお人好しだったばかりに何でも言うことを聞いてくれると勘違いし 挙句相続人は世間知らずの専業主婦だと 舐めてかかってきたんでしょうね。 私も礼節を欠かないように でも我が家の住環境を守るために闘いました。 こんな感じです http://plaza.rakuten.co.jp/ht1995/diary/201605210000/ 要するに公共事業のために誰かが負担しなければならない それが我が家だったということです。 父は「人の為」ということは結構してきました。 そのうちの一つに「道が広くないと作業効率が悪いので広くしよう!」というのがあり 田舎の狭い道を広げるためにどれだけ苦労してきたか。 私が子供のころどこそこの道を広くするのに こういうことがあったなどと母に話しているのを そばでしょっちゅう耳にしていました。 父の晩年も約5年かかって地域の田んぼの圃場整備(ほじょうせいび)をしました。 (圃場整備:あちこちに散らばる同一の持ち主の土地を一か所に集め全部道付きにすること) 85歳で役員をするなんて ちょっとありえないのですが他に適任がいないので それこそ老体に鞭打って頑張りました。 「本当に参った!」とよく言ってました・・・。 我が家の土地は町の保育園・運動場・児童館・役場・福祉施設・・・ とかなり提供してしまったのでだいぶ減りました。 でもまだそれなりに残っていますので 維持管理を頑張らねばいけません。 今年は父の死・家の新築・PTA行事への参加などで 私の体調がいまひとつな状態で思うように管理はできていませんが 父だけでなく母や祖父母の苦労を思うと適当なことはできません。 何とか努力していこうと思います。 なんだか重い話で失礼しました。 以前訪れたバラ園のバラでちょっと気持ち和ませて・・・ さあ今日も頑張りましょう! 応援ポチよろしかったらお願いいたします。 (1人1日1回有効です) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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