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みなさんおはようございます! お盆も過ぎ、首都圏ではまだまだでしょうが、安曇野の子どもたちの『夏休み』も もうそろそろ終わりに近づいております。 子どもたちのキラキラ光る瞳はどんな『夏』を体験したのでしょうか? お父さん、お母さんが忙しくてどこへも出かけられなかった子。 2泊3日くらいで海や山や観光地に出かけた家族。 病気のためベッドで頑張っている子。 それぞれにそれぞれの夏は来て、駆け抜けて行くことでしょう! 今から40年前、おいちゃんの小学生時代はどんなだったろう? 昔はとにかく近所に子どもがたくさんいました。 いつでも5人~10人くらいの集団でいろんな遊びをしていました。 陣取り・缶蹴り・石塔・魚とり等・・・・ (呼び方も遊び方もローカルなものかもしれません) 一人遊びの類はほとんど記憶にありません。 今のようにゲームはほとんどと言っていいくらいありませんでした。 DSやTVゲームのように一人で遊べるものがなかったのです。 トランプや花札、すごろくなどにしても複数人で遊ぶものばかりでした。 現在ではひとりっ子の家庭も多く、近所でも子どもの数は非常に少ない感じです。 近所の子ども集団は、学校の共同生活よりはるかに『シャバ』の生活に近いものが あったように思えます。 例えば『カジカ』と呼ばれる川魚をみんなで捕りに行き、料理屋さんなどに 売りに行きました。 まあ、子どものやることですので、そうとう安く買い上げられて いたとは思います。 そのお金を分けるのですが、記憶では均等ではなかったように覚えてます。 リーダー的な存在の者がいて、年齢とか、仕事の役割分担に応じて分けてもらった 記憶があります。 多少不満もあったような感触も記憶してます。 でも一生懸命やりました! みんなで『いかだ』を組んで川下りをしたことです。 おいちゃんの家のすぐ横に『穂高川』が流れています。 そこを近所の悪ガキ仲間で知恵を絞り、強力していかだをつくりました。 隣町のまだ向こうまで下っていきました。 どうやって帰ってくるのかも考えず、奇声を上げながら流されて行きました。 当然、いかだは乗り捨てです! 帰りはだらだら暑いなか何時間もかけて歩いて帰ってきました。 我々がなかなか帰って来ないので、家で待つ者もみんな心配してました。 家に辿りついたあとの『大目玉』は、になさんご想像の通りです・・・・! 身近にたくさん子どもたちがいて、お金のかからない『冒険』がいっぱいありました。 未来ある子どもたちにはこの『冒険』をおおいにしてもらいたいと思ってます! ある意味『冒険』たくさん経験することが豊かな『心の糧』を育むような気がします! そして大人になった今も『冒険』という言葉の響きに振り返れるようでありたい! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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