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テーマ:今日の出来事(292851)
カテゴリ:言論の自由
今日は、とあるセミナーで、
新しく自分の感覚を刺激し活性化させて、それに瞑想をプラスして自分の幸せをアップさせたいものはなんですか? という質問と、 自分のストレスを回避する事に関して、何をするか言いなさいと言う質問でした。 まあね、ムチ打ちになっている人にそんなこと聞いてもね、自己実現する目標は考えられませんよ。。 今は、ただひたすら、このムチ打ちの症状から開放されたい、良くなりたい・・・とだけしか考えてませんので。症状がひどい時は他の事には何も集中できない時もありました。 病気になったり、怪我した人たちは皆、良くなることだけを考えていて、先の目標なんて考えられないと思います。 それに、ムチ打ちや病気になっている人に、そういう質問をするよりも、質問する前に自分が察知しなくてはいけません。そして、「どうしたんですか?」と質問を投げかけてあげるのです。そうすることで相手の事を理解することが出来ます。それが、弥勒菩薩ラエルが教えられている「愛を人に与える」という事だと私は思います。忙しくて時間がない人は別にして、理解できるまで相手の話を聞き、疑問があれば、また、質問をするのです。とにかく、相手の事を理解してあげ、その人が幸せでいられるために何をしてあげるのが一番良いのか考えてあげることが大切だと思います。 今は、自分の硬直しきった頚椎が少しずつほどけてきている時で、自己実現なんてそんな事考えらませんね。 それに、私の怪我について自ら聞いてくれた人はたったの一人だけだったです・・・。 と、ここまで書いて、私は2番目のストレスとその回避行動の答えがわかりました。 自分のストレスは、この車にひかれた事によるムチ打ちの症状が引き起こす苦痛であり、それからの回避行動は整骨院にいき治療すること。お金がかかる話ですし、限られたお金しかないときはこれも無理な時がありますけどね。だからこそ、自分で簡単な気功をし深呼吸とゆるやかな動きを合わせて身体のバランスをとったり、ヨガのポーズをとったり、瞑想をしてみたり、手当をしたり、マッサージを受けてみたりしています。ムチ打ちの苦痛からの回避行動が、自分の体と脳に心地よい感覚を与えてくれるのはとても良いですね。自分の中にある苦痛ですので、それを回避する方法は唯一、自分自身に良い反応を起こす事を全てやると言う事です。なんて、素晴らしいのでしょうね。 あと、自分の感覚を新しく刺激すると言う事についてですが、毎日時間あったらブログを書いてますので、毎日ブログを書く度に私の感覚は新鮮に刺激されています。頚椎に痛みがあってもね。しかも、それが瞑想みたいなものですので、ブログ+瞑想はセットになっています。手足が痺れて、めまいがして、吐き気がして、気が遠くなりそうな時は、書けない時もありましたが、少し楽になったらブログを書くようにしている。ブログを書くとき、私は幸せだからです。 以前、ある人と話をした時、その人はブログで何を書いていいのかわからないと言ってた。 私の場合、最初にブログを書き始めた頃、アイデアはあったのだが、それを書き終わると、頭の中が真っ白毛になって何を書いていいのかわからなくなってた時期があった。 そこから、しばらく無理やり何かを書くと言う事を時々繰り返していたが、そのうち普段の出来事やニュースとか、ネットの情報を見てるうちに、何かが閃くようになり、その時、一気にそれを書いてしまう事が出来るようになった。ようは、繰り返して書くと、自然に身につくものだと思います。 私は、小学生の時、学校の先生が交換日記を教室の生徒全員としてくれていました。そのおかげなのかな?その時、私は先生に交換日記を見せるのが楽しみでなりませんでした。また、先生が赤字で書いてくれた言葉を読むのが「とっても楽しみ」だったのです。だから、ブログを書くのが私は好きでたまらないのだと思います。 以前、Bさんと話をした時は、彼は、「ふん、そんなの退屈でたまらない」と吐き捨てました。人の心が全く分からないBさんにはいたし方ない事かも知れません。 それと、私はジャズが好きなので、ジャズが流れている喫茶店でブログを書くと、私の快楽中枢が全開になります。Bさんは、ジャズはネガティブだと言いましたが、ネガティブなジャズもあり、ポジティブな音の組み合わせをしているジャズもあるんです。音楽とはコードの組み合わせとその進行の仕方で表現する芸術なのです。ジャズは特に、そのアドリブによるコード進行により、独創性が素晴らしい。それがまさしく芸術だと思います。ジャズの中にもプラスのものがあります。 新しく感覚を刺激するのは、何も、新しい事でないと行けないわけではないと私は思います。毎日同じ事をしていても、自分の見方や意識が代わると、それが新しい新鮮な刺激になるのです。同じ道を歩いていても、自分がしあわせな時、悲しい時、その道が違って見えると思います。自分自身が変われば、物事の捉え方が変わるんです。それも、新しい刺激なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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