カテゴリ:私の事
もう二月。 新型肺炎(新型コロナウイルス)の不安が広がっています。 どうなるのやら。 毎年カナダのエドモントンに住むお母さん (40年前ホームステイでお世話になったホストファミリー)と 33年前、2歳の長男を連れて5週間のカナダ横断の二人旅(ほぼ冒険)の際 バンクーバーからトロントに向かう飛行機内で友達になった 孫娘さん(5歳くらいだったかな)と一緒にトロントに帰るおばあちゃんとの 二人と毎年クリスマスカードのやりとりをしています。 (いつの頃からか『Season's Greeting card』ですが・・・あまり意味は変わらないけど) お母さんからは今年も達筆のカードが届きました。 しかし、おばあちゃんからは届かず、私のカードも返って来ました。 転居、宛先不明。 カードだけでなく年に一度の近況報告、毎年私の事だけでなく主人や子供たちの成長 等を手紙に書いていました。二歳だった長男の結婚式の写真を喜んでくれ、 娘の成人式の振袖姿の写真・・・ 今回は去年生まれた孫のお宮参りの写真を同封していました。 「あなたは日本に住んでいる唯一の友達」 「日本のカードはとても珍しくて面白い。毎年飾ってみんなに自慢するのよ」 一文字一文字、震える手で大変なのに手紙をを書いてくれました。 感想や返事はいつも一年後だけど・・・ でも三年前(時間的には二年前)の手紙にはとうとう 「もう、ペンを持つ力が無いので娘に口述筆記をしてもらったの」とありました。 その次の年、カードに同封しようと思っていた 次男の結婚式の写真が我が家のプリンターの不調でDPEに出し 準備をしたまま出しそびれそのままになってしまいました。 なぜ遅れてもいいから出さなかったのだろう・・・ でも、その年はおばあちゃんからもクリスマスカードは届きませんでした。 私と飛行機内で出会ったときはすでに今の私より少し年上、 ちなみに私は29歳。 4年ほど前に92歳になったって書いてあったと思うから今96歳くらい・・・ 実は33年の間に数年間やりとりが途絶えたことがあるのです。 知り合った当時私たち家族は神戸に住んでおり その後横浜、現在の市川(市川市内で更に転居)と短い期間で 転々としていました。 横浜に引っ越した際そのことを知らせたのだと思うけど 忙しさに紛れてその後はやりとりが途絶え 気になっていながらもおばあちゃんの住所はわかっているから・・・ と、横着に構えてしまったのです。 そして1995年3月、私たち家族が今の家に引っ越して一年が経とうとしたころ おばあちゃんから手紙が届いたのです。 郵便物の転送は申し込んであったけれど有効期限は一年、 なぜ届いたんだろう、横浜から3年近く時が経っているのに・・・奇跡です。 手紙には阪神淡路大震災の事、神戸で大変な地震があったと知って 私=神戸で横浜も神戸に近いと思ったらしいのです。 大丈夫?、電話を頂戴コレクトコールでいいから・・・ 時差を考えて翌日午前中に電話したと思います、もちろん通常の国際電話で。 私も家族も友人もみんな無事、今住んでいる千葉は神戸から離れていること を伝えたら安心してくれました。 それから23年途切れることなくカードのやりとりが続きました・・・ なのになぜ、あの時・・・と後悔しています。 でも、ELLAおばあちゃん、私たちは友達だったよね。 たった4時間ほどのフライト時間が こんなにも長いお付き合いになることがあるなんて・・・。 もう、会えないけど忘れないよ。 エドモントンのビートレスお母さんももう89歳か・・・。 以前、同級生がグループラインで送ってくれた 居酒屋で飲んでた時のお店の掻敷(かいしき)に書いてあった一文。 幸せな人生 明日死んでも良いように 百まで生きても良いように 考え考え生きていこう 行きたいところには、行っておこう 会いたい人には、会っておこう 食べたい物は、食べておこう」 足腰立って、元気なうちに・・・ 心に沁みます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.02.02 08:26:23
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