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2005年08月07日
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カテゴリ:日本地域
  母方の叔父さんの家は農家だ。
 この時期になると思い出すことがある。
 
  子供の頃なので、夏休みだったか日曜だったか
 忘れてしまったが、手伝いをしていた。従姉妹と一緒に。

  その時大人たちがよく、‘おこさま’を連発。

  当然、‘お子さま’だと思っていた。
 従姉妹と‘私たちのこと?’と目を見合わせていると、
 大人たちの視線は私たちを越え、あるものの方へ・・・。
 それは、‘蚕’であった。すなわち、お蚕様(おこさま)。

  群馬は養蚕県でもあった。昭和33年には県内農家の2/3が
 養蚕農家(84,470戸)であった。
 今は激減し、平成12年は2%(1,270戸)になってしまい
 叔父さんの家も、とっくの昔に辞めてしまっている。

  明治5年の頃は日本からの輸出額の半分が生糸、
 さらにその3分の1が群馬県産という時代は、生糸のことを
 外国ではMAEBASHI(前橋)というブランド名が
 ついていたほど。

  富岡にはその頃に我が国初の官営の製糸工場が出来て
 レンガ造りでその当時はモダンな造り。
 今は操業されてはいない。

  最盛期はお蚕のおかげで栄えた。
 それで‘お蚕(こ)さま’。

  手伝っていたのはカイコ(蚕)あげというもので、
 繭を作る前(5齢で透き通った感じになる)になると、
 「回転まぶし」といって、1匹づつ繭を作らせるための
 格子状になったものに蚕をまぶす(入れる)ために、
 蚕を集めるのだ。洗面器に1匹づつ丁寧に手でつまんで
 集める。

  生物とはいえ、そこは昆虫類。冷たい。
 新幹線に似ているとはいえ、ちょっと気持ち悪い。
 時にはあの目に見えるような模様もない真っ白のもいて
 気持ち悪い。

  しかしおこずかいは欲しいので、
 ゴム手袋をして頑張った。
 見慣れると、かわいいものだ。でも誤って踏んでしまうと
 青い液体がブチュッと。ん~。踏まないように丁寧に。

  蚕が桑を食べる音は、‘サワサワ’という感じで
 心地よい。食べっぷりもすごい。あっという間に
 食べてしまう。

  叔父さんの家の居間も、最盛期はそのときだけ
 蚕棚に変わった。
 ご飯を食べているときにも、‘サワサワサワ’。
 
  もう実際には聞くことが出来ないが、
 耳の底には残っている。‘サワサワサワ’。


 





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最終更新日  2005年08月07日 22時55分29秒
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