勝ち組、負け組
以前、『勝ち組、負け組』という言葉が流行りましたね。 主に経済面で分けていたような・・・、そんなに簡単に 二分出来るのかなと思っていました。 ところで、先日新聞の特集記事‘群れない日本’の中で 神戸女学院大の内田樹教授が、今武道が脚光を浴びている という理由について述べていた言葉が印象に残りました。 「日本の学校教育は、努力と利益の経済的な合理性のうえで 成り立ってきた。これをやるといいことがあるよと。 始める前に見通しの分からないことはやらない。 日本人はそのスタイルに慣れてきた。」 「なぜ一生懸命やっているのかわからないけど、 自分の求めるものが追う過程でわかっていく。 それが武道です。体のスキーム(枠組み)や 価値観が変わります。これらは学校教育では根絶し、 武道に残っているだけ。」 日本の学校教育に毒されたのかどうか分からないが、 年を重ねると共に、努力に見合った結果を求めるようになり、 上手く行くかどうか分からないことは、行っても無駄!、と 結果のみで判断するような心になっていた自分を発見。 ちょっと侘しいですね。でも、若者の中にもその心が蔓延 しつつある。がむしゃらに一生懸命!、というより、 それを行ったら良いことあるのー、それだったらしようかしら・・・。 一生懸命するなかで、発見するもの、得られるものって 重要ですよね。