おこさま!?
母方の叔父さんの家は農家だ。 この時期になると思い出すことがある。 子供の頃なので、夏休みだったか日曜だったか 忘れてしまったが、手伝いをしていた。従姉妹と一緒に。 その時大人たちがよく、‘おこさま’を連発。 当然、‘お子さま’だと思っていた。 従姉妹と‘私たちのこと?’と目を見合わせていると、 大人たちの視線は私たちを越え、あるものの方へ・・・。 それは、‘蚕’であった。すなわち、お蚕様(おこさま)。 群馬は養蚕県でもあった。昭和33年には県内農家の2/3が 養蚕農家(84,470戸)であった。 今は激減し、平成12年は2%(1,270戸)になってしまい 叔父さんの家も、とっくの昔に辞めてしまっている。 明治5年の頃は日本からの輸出額の半分が生糸、 さらにその3分の1が群馬県産という時代は、生糸のことを 外国ではMAEBASHI(前橋)というブランド名が ついていたほど。 富岡にはその頃に我が国初の官営の製糸工場が出来て レンガ造りでその当時はモダンな造り。 今は操業されてはいない。 最盛期はお蚕のおかげで栄えた。 それで‘お蚕(こ)さま’。 手伝っていたのはカイコ(蚕)あげというもので、 繭を作る前(5齢で透き通った感じになる)になると、 「回転まぶし」といって、1匹づつ繭を作らせるための 格子状になったものに蚕をまぶす(入れる)ために、 蚕を集めるのだ。洗面器に1匹づつ丁寧に手でつまんで 集める。 生物とはいえ、そこは昆虫類。冷たい。 新幹線に似ているとはいえ、ちょっと気持ち悪い。 時にはあの目に見えるような模様もない真っ白のもいて 気持ち悪い。 しかしおこずかいは欲しいので、 ゴム手袋をして頑張った。 見慣れると、かわいいものだ。でも誤って踏んでしまうと 青い液体がブチュッと。ん~。踏まないように丁寧に。 蚕が桑を食べる音は、‘サワサワ’という感じで 心地よい。食べっぷりもすごい。あっという間に 食べてしまう。 叔父さんの家の居間も、最盛期はそのときだけ 蚕棚に変わった。 ご飯を食べているときにも、‘サワサワサワ’。 もう実際には聞くことが出来ないが、 耳の底には残っている。‘サワサワサワ’。