ちはやふる 感想-その6 真島太一くんのかるたと、2人の師匠について
ちはやふる 感想-その6キャラクターについて好き勝手な語り-第3弾。真島太一くんのかるたと、2人の師匠について。*以下、最終回までの展開を知っている前提で記事を書いてます。最終50巻の内容まで、ネタバレありです。未読・未鑑賞の方は読まないでください。*◆永世名人・周防久志 について周防さんというキャラクターは、作品初期…高校生編が始まってすぐくらいだと思いますが、太一くんが「かるたで新くんを目指したい」と言い出したことから、本作の中で、それを実現する道筋を提示するために設定が組まれたキャラクターだと思っています。「太一くんのために」練られて作られた、要素が明確なキャラクターだな、と。(「名人戦の新くんの対戦相手」としても、もちろん考えていたと思いますが)ちはやふるという物語を、きちんと回し、完結させるにあたり、作中最重要と言えるくらい、貢献度の高いキャラクターだったと思います。周防さんについては、おそらく初めて新くんの回想内で存在を匂わせたのが、4巻。本格的に登場したのは、1年次の名人・クイーン戦予選会場で、7巻。実際にかるたをする姿が描かれたのが、1年次の名人・クイーン戦本戦で、8-9巻。この時点で既に、天才的聴力と、それだけではない、本人が努力でしか勝ち取れない能力が、きちんと描かれていました。ですので、おそらく…コミックで10巻に至る前、ひょっとしたら5巻あたりの、1年生次の高校選手権を描いている段階で既に、末次先生の中で、「ちはやふる」という物語の、本当に大きな部分の大筋は、ある程度見えていたのかもしれないな、と思っています。瑞沢かるた部としての山場を、2年次の夏の高校選手権に持って来て、3年次では太一くんを周防さんのところに行かせ、名人・クイーン戦予選・東西戦・本戦を描く… という大筋ですね。また、周防さん…このキャラクターを投入することで、奇妙な「美学」を重んじる、『かるた』界の矛盾でもないですが、頭の固い部分というか、他業界から観たら「何言ってんだ」という部分が、図らずも、顕在化するような描かれ方がされていたな、と思います。大学生になってからかるたを始め、3年ほどで名人位まで獲得してしまった経緯と、超絶的な「感じの良さ」が真っ先に目につき、かるた界の人々がついて行けなさ過ぎて、「周防久志は天才」と諦め、「理解」のさじを投げます。理解出来ないから、その存在が気持ち悪くて、かるた界重鎮たちには「早く辞めて欲しい」と公然と言われており、原田先生も、周防さん登場時よりその存在に不快感を表していました。また、「相手にミスさせる」かるたや、「言葉」で相手の心を折ろうとして来るスタイルに対して、作中、千早ちゃんも強い拒絶反応を示しました。対戦相手からしたら、かるたが「楽しくない」「気持ちよくできない」ですからね。この辺の描写も本当に面白かったのですが…まぁつまり、周防さんに対して、自分たちが王道だと思っている、「かるたの美学」を持っている人たちが、「あれは邪道だ」ってカテゴライズして、自分たちの気持ちいい価値観を守ろうとしてるんです。これらの「かるた界」の描写は、今回読み進めていて、一番気持ち悪かった部分です。妹も、すごい拒否反応を示してました。(もちろん、現実のかるた業界が実際にこうだ…と思っているわけではなく、フィクションとしてですよ)こんなの、周防さんが、現状のかるた界の誰よりも、「自身の特性」と「かるた競技の特性」への理解が一番深くて、競技ルールに則って「見事に使いこなしてる」って話なだけじゃないですか。「かるたの美学」?やってるのは「競技」で、「勝負」でしょ?本気で「かるた」で勝ちに行こうとした時に、対戦相手を「楽しく」させる必要がどこにあるんだ、と。逆だろ…当然「相手の心を折りに」行くのが自然だろ、「勝負」なんだから、と。また、かるた業界が、「理解できないから」と言って、周防さんのやっていることを見ようともしない。周防さんは、まだかなりかるた初心者の頃から、自身の「感じ」の才能を理解し、それを極限まで活かすため、専任読手さん宅を訪れて回って音源を入手し、音源頭部分を延々と聴き込むという、普通そこまでなかなかやらないようなアプローチ方法を独自で確立し、名人位まで短期間で昇りつめています。また、聴力を守るため、常に小声で話し、耳を刺激する環境からは極力自身を遠ざけて生活しています。「相手にミスをさせる」かるたも、練習中に仕掛けまくった、思考・試行錯誤と自己研磨の賜物です。東大かるた会で後輩に手料理を振る舞う際、須藤さんの好みに合わせて何度も料理を作り直す描写からも分かるように、常に生活の中で、試行錯誤をやっている人なんだと認識しています。普通に考えれば、周防さんが名人位在位期間中は、東大での留年を続けているのも、「名人位」という並みの努力では守れない地位を維持するための、周防さんなりのバランスのとり方の一環であることは、分かると思うんですよ。こんな貴重な、3年で名人位取って、4回防衛に成功するような稀有な天才に対し、名人位在位期間の5年間で、「あなたにかるたをやってて欲しい!」と本気で思ってくれたのが須藤さんと新くんのたった2人、そして、「あなたのかるたのやり方、凄いですね!考え方、磨き方を教えてください!」って、本気で向かって来てくれたのが、太一くんただ1人だった、ということだと思います。◆真島太一くんについて描くべきことが多すぎるキャラクターです。ここまで、その5まで書いてきた記事群も、基本的に千早ちゃんから観る太一くん、新くんから観る太一くんについてひたすら語ってただけだったな、と思うのですが、それくらい語りがいがあります…。仕方ないです。『ちはやふる』という作品の核心は、間違いなくこの子・真島太一くんの『かるた』です。・抱える2つの『矛盾』についてここまで書いてきた記事と重複しますが、太一くんがこれほどのブラックホールキャラクターになった一番の理由は、コレ↓だと思っています。そもそも、「かるた」を引き立てる為、「名人」と極端に真逆の要素を持った存在として誕生している点。感想記事その3で、「ちはやふる」の三角関係の構築について語っていたのですが、太一くんは、新くん(かるたで名人になる子)と極端に対比させる形で設定を作ったキャラクターだと思っています。というより、第一話前半のプロットを組みながら、新くんと太一くんを対にする形で、新くんのキャラクター設定も同時に作り込んでいったんじゃないかな、と思っています。どうすれば、新くんの「かるた命」という独特な軸を、一般小学生たちの中で浮かび上がらせることができるか、という考え方でしょうか。運動神経も抜群で、勉強もできる、百人一首も一生懸命全首覚えた…そんな子が、全く手も足も出ないのが、「かるた」。世間一般で、重要視されるような能力や、経済的豊かさをどんなに持っていても、それらを全て帳消しにしてしまう威力を持つフィールドが、「かるた」。そう言いたいがために生み出された、まさに「かるた軸を引き立てるため」に構築されたキャラクターだな、太一くんは、と思います。で、これも既存記事で語っていますが、千早ちゃんが高校生になり、かるた部創部~団体戦をやる、となった際に、この、「かるたを引き立てる子、否定する要素を持った子」を、「かるた部をヒロインと一緒にやる子」に転用したんじゃないかな、と想像しています。上記が、太一くんの抱える最大の矛盾なのですが、もう1つ。この子が抱えている矛盾として、下記があると思います。1巻第1話、小学生時代の、新くんをいじめるジャイアニズム像と、高校生になってからの、周囲の人の気持ちに敏感な、繊細さを持った部長像とのギャップです。1巻1話前半のエピソードは、この子が後に「部長をやる」展開を構想するその前に構築したエピソードなんじゃないかな、と想像しています。高校生になって登場したときには爽やかイケメンになっていたのも、小学生時代の行いを気にして、自分が嫌いで、変わってったんだろうな、とも受け取れるのですが、基本的に、キャラクター作りとしてみれば、『矛盾』だと思っています。これは、三角関係モノとして、遠くに居る新くんに対し、常に千早ちゃんと一緒に居る太一くんの分が良すぎる点について、あえて残したハンデだったんじゃないかな、と想像しています。最終的に、恋愛面の決着をつける際に、「ここ」を理由に、太一くんを退かせるという筋道も、選択肢の一つとして可能にするための、布石だったんじゃないかな、と。ただ、やはり『新くんをいじめた』事実は、完全に「対新くんへの負い目」であって、千早ちゃんへの恋心を折ったからといってどうにかなるものでもなかったというか。結局、後者の『矛盾』に関して、作中で太一くんはずーーーっと、40巻まで、新くんへの負い目・自己否定のスパイラルを引きずり続けることになりました。これに関しては、おそらくですが末次先生的にも、太一くんに対して「こんな『矛盾』を背負わせてしまって、苦しめてしまって、無理させてしまって、申し訳ないことをした」と思ってらっしゃったのかな…と、40巻・東西戦の描き方や、その後の布団回を読んで感じました。他の様々な作品を鑑賞していても心底感じますが、物語において、『矛盾』ほど面白いものはありません。上記2つの、太一くんというキャラクターの抱える矛盾。基本的には偶然の産物というか、流れの中で生み出されたこれらの「面白さ」が、作品最大の魅力であり、メディアミックス展開をことごとく成功に導き、作品を異次元のヒットへ持ち上げた魔力…ブラックホールだと思っています。幼少期からかるた英才教育を受けて来た新くんが、かるたをやるのと、かるたの特殊性の引き立て役として生み出された太一くんが、かるたをやるのと、どっちの方が観てて面白いかって…そんなもん、言わずもがななんです。『矛盾』を抱えてる方が面白いに決まってます。・かるたで名人になる子と真逆の設定先に書いていた『矛盾』の方について、です。こちらは、キャラクターの心持ちの問題とかではなく、キャラクターのバックボーン・根幹の設定からの問題です。そもそも、太一くんというキャラクターを設定する際、ただ「千早ちゃんとかるた部をやってくれる子、支えてくれる子」を念頭にしてたら、こんな極端な、総合病院家系の子、なんて重い設定を背負った「なんでも出来る子」にする必要なんて全くないと思うんです。「かるたなんてやってる余裕ないはずの子」に「かるた部立ち上げ~部長をやらせる」って、矛盾以外の何物でもない。私は、漫画原作を最終回まで読んで、それでもなお、「太一くんは、やっぱり基本的にはかるたをやるべき子じゃないな」と明確に思っています。気晴らしの趣味でやる分には全く止めませんが、トップレベルの闘いがしたいとなれば、話は別です。私が身内だったら、心配で、出来たら辞めて欲しいと思うだろうな、と。この『矛盾』は、周囲が何をどうしたところで、変わることはありません。だから最後、千早ちゃんも「太一くんのかるた」についてココ↓に辿り着いていたと思っています。「太一くんに、かるたを求めない。」ここについては、千早ちゃんと太一くんの恋愛面を語る上で非常に重要な部分だと思っています。ここだけピックアップして、また別記事で語りたいな、と思います。・アクセルとブレーキ太一くんの描写で面白いな、と思って読んだのが、アクセルとブレーキの踏み方。この子は、ひとたび目標を設定してからの、そこに向けた直線コースを爆進するためのアクセルの踏み方が半端ないんです。太一くんは、作中で目標に定めたことはほとんど全て叶えましたからね。・2巻 日本一のかるた部作ろう・8巻 A級昇級 高校選手権 団体戦優勝・個人戦 各階級優勝 1年生教育にも力を入れて、かるた強豪校に・38~40巻の、東西戦の次元での新くんとの対戦・最終話・京大合格このアクセルの踏み方は、母親の「1番を取らなきゃ意味が無い」教育の賜物だと思います。どんな分野でも「1番を取ろう」としたら、そりゃこうなるよな、と。で、一方で面白いのが、ブレーキの踏み方です。太一くんは、ギリッギリのところまでアクセルを思いっきり踏み込んで、最終的に、自身が基軸とする領域の「勉強」で、本当に取り返しがつかない状態になる、その1㎜くらい手前で、思いっきりブレーキをかけてるんだろうな、と感じました。26巻のかるた部退部と、40巻の対新くんとの東西戦第3戦目のボロ負け。この2つは、太一くんが、「ここでこれ以上踏み込むと、本当に取り返しがつかなくなる」と判断してかけたブレーキだと思って読みました。太一くんは、あまりにアクセルの踏み方がえげつないので、周囲をハラハラもさせるのですが、でも、ある意味で、最終的には「バランス感覚が良い」…自分で判断して、本当にギリギリで、「ブレーキを踏める」。かるたに関しては、アクセルとブレーキの切り替えがあまりに極端で、ちょっと周囲が、もらい交通事故みたいになってましたけど。この部分は、太一くんには、生涯、絶対に手放さないでいて欲しいと思って読みました。26巻のあのタイミングでの退部は、なかなか出来ないです。でも、あのまま部長として新入部員を受け入れてたら、夏まで抜けられませんし、その先は、いわゆる「鬱」と病名が付くようなところまで行ってしまう可能性もあったと思っています。東西戦も、「目標を遠くに持つ」と口では言っていましたが、基本的には、「全力の新くんと闘う」までしか想定していなかったと受け取っています。2戦目で、上記の目標までたどり着き、条件設定の上とはいえ、新くんから「1勝」を得た後に、完全に力尽きてましたが、3戦目で万が一にも勝ってたら、だって…名人戦は、共通試験の1週間前ですので。流石に…そこまで勉強をないがしろに、もしくはかるたと勉強の両立をしようとしてたら、この子は潰れてたと思います。3戦目は、もちろん本気じゃなかったわけではないのですが、「やりたかったことは出来た!今回はココまでだ!」という太一くん自身の中の無意識アラートに従ったのもあるだろうな、と受け取りました。太一くんのお母さんも、この子のバランス感覚は信頼していたので、高校生になったこの子に、そうもあれやこれやを言うことをしていませんでしたが、かるたに関しては動きがおかしくて、流石に心配になったんだろうな、と。(特に、かるた部退部)高校3年次の太一くんの動きは…凄まじいので。名人戦予選・東西戦で、きちんと「プレイスタイル変革」という形になって出て来るまで、周囲も…そりゃあ心配だったと思います。ただここで、お母さんと千早ちゃんという、太一くんの人生に大きな影響を及ぼすミセスプレッシャー・ミスプレッシャーの2人に、「(『信頼』という鈍器で)太一くんを追い詰め過ぎるべからず」という釘を挿せたことは、凄く良かったんじゃないかな、と思います。太一くん、今後の人生が100倍くらいやりやすくなったんじゃないでしょうか。・対周防さんについて先に書いたことが全てではあるのですが、周防さんは太一くんを「個人競技者」として羽ばたかせるために設定されたキャラクターだと思っています。普通、太一くんからしてみれば、「感じの良さ」を最大の武器にする永世名人の存在は、絶望の対象だと思います。太一くん自身には、もともと備わっていない才能なので。ここで発揮される、太一くんの天才性が、「模倣と学習」能力です。もともと「持ってない」んだから、「持ってる人」の真似して、咀嚼して、自身の中で再生産を試みるしかない。言葉にすれば、ものすごく単純な自己研磨方法なんですけど、もし私が太一くんの立場に居たとして、かるたが強くなりたいと思った時に、周防名人の真似しようと思うか!?というと、「思わない」「出来ない」でしょうね。遠すぎて、とてもそんな気にならない。「かるた」に愛されてなくても、才能がなくても、どんなに運がなくても、太一くんの、かるたへの絶対に諦めない向き合い方。天才の「真似できない」部分は、それはそれとしてきちんと認識した上で、天才の「真似できる」部分は、とことん真似て真似て、自分のモノにしていく。太一くんがかるたを諦めなかったからこそ、本作に投入されることになった描写だと思いますが、これが、末次先生が一番実感として持っており、発信したいメッセージだったのだろうな、と受け取っています。・対原田先生についてその4の記事で、千早ちゃんの人生モデルとしては、宮内先生・桜沢先生たち教師陣と、猪熊元クイーンが居ると思っている、と書いたのですが、太一くんの人生モデルは誰かな?と考えると、一番には、原田先生だろうな、と思っています。あくまで、「かるたへの向き合い方」という点です。原田先生というキャラクターは、他に居ない、非常に興味深いキャラクターだと思って読みました。千早ちゃんと太一くんが、本格的にかるたを習った師匠で、2人のかるたの基礎を作った大恩人…なのですが、ただの「かるたの先生」なだけではなく、50代後半、膝のハンデを持っていても、毎年名人戦予選に挑戦する一流プレイヤーとして描かれました。千早ちゃんたちの高校2年次には、原田先生は名人戦予選を勝ち抜き、東西戦では新くんに勝利し、周防名人へ挑戦します。これらは、太一くんの心情変遷を含め、20巻台前半、作中のかなりの尺を使って描かれました。太一くんは原田先生に対し、もちろん育ててもらった恩がありますし、何より、尊敬しています。原田先生は、非常に迷いなく自身の考え・思想を主張しますし、かるた愛を強く叫びます。作中でも、その発言の強さは群を抜いていて、かるた界においてもたいへん存在感があります。ただ反面、原田先生は、医師と言うキャリアを地道に歩いてきた方で、開業医という社会的ステイタスを確立するに至るまで、競技かるたが一番強かったはずの20~30代に、医師の勉強と仕事の方を優先していましたし、それもあって、おしいところまでは行きましたが、今のところ名人位取得は叶っていないという経歴の持ち主です。同じ医師を志し、また総合病院家系の太一くんが、かるたに打ち込むことの大変さをよく理解できる方です。逆に、太一くんの目から見て、医師業を優先しつつも、諦めずにこれほど情熱的にかるたに打ち込む原田先生の生き方は、自身の今後の人生で「かるた」をどう位置付けるのかを考えた際の、希望というか、「道」の一つだな、と思います。23巻、東西戦で原田先生が新くんを下し、名人戦挑戦者に決まったシーン。大粒の涙をこぼす太一くんの1ページぶち抜きのカットは、とても印象的でした。でも。原田先生と太一くん…決定的に、性格が真逆でした。原田先生の過去話も、太一くんと同じ「医師」軸を見せつつ、それと同時並行で、原田先生の、ズケズケと自分の意見を言えてしまう、「太一くんと似てない」気質を強調したエピソードで構成されていて、この2人の師弟関係は、本当に面白いなぁ…と思って読みました。そして、原田先生の教える『攻めがるた』。このプレイスタイルの方向性が、太一くんに悲しいほど合っていませんでした。名人戦で、原田先生と周防名人の熱戦を間近で見ていた太一くんが、原田先生に勝ってほしい、応援している気持ちは間違いなくあるんですが、一方で、東大かるた部に行った時から感じていた、『周防さんのかるた』…あれいいな、やってみたいな、と思ってるんです。「攻めがるたは最強」であることを証明したいと、原田先生があれほど頑張っているのを分かっていて、自分には、周防さんのかるたのような、別スタイルの方が合ってるんじゃないか、強くなれるんじゃないかと思ってる。20巻台。2年生の秋~冬にかけて、ここで太一くんが一気に今の状況でかるたをやるのが、苦しく、辛くなってしまう過程が、本当に丁寧に描かれています。名人戦の後、高松宮杯で新くんと対戦し、その力の差を実感し、今のままじゃ新くんに辿りつくビジョンが全く見えない…なのに、千早ちゃんと原田先生の目線がある中で、自分の試してみたい「別スタイル」の探求が出来ないんですよ。2人が嫌悪感を示すのが、目に見えているので。そうこうしているうちに、3年生が近づいて、「受験」が本格的に見え始め、勉強を一層頑張らなればならない。この状態で、かるた部で1年生を受け入れて、部長として新チーム形成に気力を注ぎ、高校選手権団体戦の2連覇を目指す…これが、太一くんにはもう出来なかった。今書き出してるだけで、胃が痛くなってきましたが、26巻で太一くんが退部届を出すに至る、一連の流れの描かれ方は凄いです。繊細だし、環境の全部が人を追い詰めていく過程が見事です。太一くんのこの…進む先で、あらゆる『矛盾』を吸い寄せてしまう、『矛盾』製造マシーンっぷりは何なんだろうと思うんですよ。『矛盾』というか、太一くんが周囲の人の気持ちを、先回りして気にし過ぎちゃって、自分のやりたいことと、周囲の人たちの気持ちの板挟みになって、勝手にどんどん苦しくなっていっちゃう。本当に、考えれば考えるほど、奇跡のキャラクターだな、と。イイんですよ。「原田先生の『攻めがるた』は、俺には合ってなかった」で。「千早は嫌いみたいだけど、俺は『ミスさせるかるた』も面白そうと思ってる」で。事実なんだから。そこで周囲を悲しませたくなくて、気を使って自分が苦しくなる必要なんてないんです。そもそも、一読者の目線で、原田先生は「指導者」としてどうなんだと思っています。稼ぐ体制ではやっていないと思いますので、言うことでもないのですが、もしこれがプロ指導者だったら、千早ちゃんと太一くんに同じスタイルの指導しかしないなんて、それはアウトだろ、指導者失格、と思うレベルです。素質も性格も全然違うんだから、目の前の子一人一人をよく見て、一番合ってる指導方法を心がけるなど、プロだったら、絶対条件だと思うので。コミック35巻から始まる、3年次の東西戦予選。白波会や瑞沢かるた部のA級選手たちが揃う中、太一くんがずっと「話かけんなオーラ」を発してて…周囲も「どうかな、大丈夫かな」って、ずっと太一くんの様子を気にかけてて…最後に、決勝戦まで来て、原田先生と対峙した瞬間に、「太一くんが気にしてた」ことが何だったのか、一気に鮮やかになります。白波会に育ててもらった自分が、昨年、名人戦で原田先生を破った周防名人のかるたを「いいな」と思って、付いて回って、真似して、プレイスタイルを思いっきりそっちに寄せて変えてみて、今回、名人戦予選で通用するか分からなかったけど、やってみたら順調に勝ち進むことが出来ていて、手ごたえもあって、で、ここで白波会の有力選手を自分が下したら、こんな面当てはないという状況なんですよ。原田先生の攻めがるた、白波会の指導の、否定になってしまう…と、太一くんは思ってる。この状況を作りたくないから、わざわざ自分も「白波会」で登録して、なるべく白波会の選手との直対戦を避けられるようにしてて、でも、最後に原田先生との決勝戦を迎えてしまって。一旦は戦わずに原田先生に譲ろうとしたところを、原田先生に止められ…原田先生にとっても、この太一くんの「手に負えなさ」が何と言うか、面白いし、幸せでもあるし…複雑な存在だろうなぁ、と思います。教え子なんですけど、勝手に自分で未知の試行錯誤して、短期間で、ぐんぐん想像もつかないような伸び方をして来て。原田先生自身にとって、指導者としての在り方を問うてくるような…また、プレイヤーとしての、限界を突き付けて来るような…それでいて、向かい合う相手(今回は原田先生)の気持ちを、先回りして汲み取り過ぎて、先に泣き出してしまうような子なんで。自分と似てるな、カワイイ教え子だな、という思いと同時に、自分と似てないな、手に負えるような子じゃないな、勝てないな、という…諦めのような、太一くんという、普通にしてたら「かるた」の世界には紛れ込まないであろう特異な存在を慈しむような…複雑な感情の全部をひっくるめて、「美しい壁」という絶妙な言い回しになっているのだろうな、と感じました。・これからの「名人位」取得の可能性40巻、東西戦で新くんと闘って、負けて、太一くんの「かるた」は、一度「やり切った」というところまでたどり着いたと思っています。そこから太一くんは、完全に受験モードに切り替え、1月の名人・クイーン戦では、自分が呼んだ周防さんの家族の受け入れをして、偶然居合わせた千歳ちゃんと原田先生を近江神宮まで送り届け、その後一度、競技会場内に入ることなく、帰ろうとしていました。なかなかもう、かるたに個人競技者として真正面から向き合う気にならず、千早ちゃんと新くんの熱戦を、どういう心持ちで観て良いのかも分からなかったのだろうと思います。周囲も、まぁもうこの子に「かるたを続けた方がいい」とは言えない…という状況だったと思います。最終回、末次先生のインタビューで「太一の運命だけは最後まで分からなかった~」的な記述があったのを観たのですが… 多分ここの事だったんだろうな、と思っています。でも!高校に入ってかるた部を立ち上げからやって、まともに指導者の居ない状況下で1年ちょっとで高校選手権団体戦全国優勝まで持って行ってしまったり、若干18歳で、自分で考えて考えて、個人戦でも東西戦・東の代表まで上り詰めた、かるた界からしたら、普通に超「飛び抜けた」逸材ですから。41巻で周防さんも、太一くんに「名人位取得」へ向けた期待を匂わす発言をしたり、白波会の面々…特に坪口さんも、「この子は自分より上に行ける」という思いを乗せて、「続けて欲しい、上を目指して欲しい」と強く願っています。第3戦目の千早ちゃんの勝利に導かれ、第4戦目の後、新くんを心配して、近江神宮の神前で会話をして、49巻・5戦目、「ちは」札を獲る2人を見て、太一くんが素振りをし出すシーンを読んだ時は、鳥肌が立ちました。うわぁあああああああ!すげぇええええええ!って思いました。だって…何度も何度も同じことを書きますが、太一くんは新くん(競技かるたで名人になる子)と真逆な存在としてもともと生み出されたキャラクターだと思うんですよ。地球の裏側みたいなスタート地点から、約50巻かけて、太一くんのテリトリー…というか、目標を設定する視界・フィールドの中に、本気の本気で「競技かるた名人位」が入って来たんですよ。本当に凄いんですよ。漫画連載作品、キャラクターの生命力の神秘だと思います。この先、太一くんが名人位取得まで行きつけるのかどうかは、今のところ、「読者の想像にお任せします」という締めになっていますが…でも、太一くんは、本編中で「目標」として見据えたことは、どんなに遠い場所にあったものでも、絶対にやり切りましたので。「模倣・分析/咀嚼・思考/応用・表出」のサイクルを確立し、手ごたえを持った太一くんにとって、周囲のあらゆる「かるたスタイル」を持つプレイヤーたちはそのすべてが「模倣対象であり、伸び代」です。私は、「いつか太一くんは、名人位を獲るんだろうな(そうも遠くなく)」という期待感を膨らませながら、本作を読み終えました。ーただ、それと同時に「イヤ 新くん、負けんな!こんな…「俺なんて」って言いながら、最終的に全てを手に入れてきたモンスターに簡単には譲るな キミの威信にかけて!!」 とも思うわけです。千早ちゃん×詩暢ちゃんのライバル関係もですが、この先は本当にどうなるかわからない…これからどんな熱戦が繰り広げられるんだろう… と胸が高鳴る、競技モノとして、素晴らしい帰結だな、と思いました。…ふう。「ちはやふる」感想…書いても書いても、いつまでたっても書き終えれません。マジで『真島太一』、ブラックホール過ぎます。もうあとちょっと…恋愛方面について語りたいと思っています。ゆるゆると書いていきます。by姉