映画感想『リョーマ!新生劇場版テニスの王子様』-その1
先週末より公開している本作、鑑賞して来ました。『リョーマ! 新生劇場版テニスの王子様』(2021年、製作総指揮:許斐剛、監督:神志那弘志)立海大付属を下し、青学が全国大会で優勝を果たした3日後、越前リョーマは武者修行のため、単独でアメリカへ渡った。同時期、リョーマの同級生の竜崎桜乃も家族旅行でロサンゼルスを訪れていた。彼女が不良に絡まれるのを助けようと、リョーマの放ったテニスボールが引き金(?)となり、2人は過去へタイムスリップしてしまう。そこは、リョーマの父・越前南次郎が引退に追い込まれた、全米オープン決勝の2日前だった…!予告編→こちら。…これは、凄い。これは、もう存在が凄い。『テニスの王子様』、初の3DCG映画作品。予告から、実際に鑑賞するのを若干ひるむほどの『圧』は感じておりましたが、本編鑑賞時に実体感した『圧』は、想像の比ではありませんでした。1,000倍くらいの破壊力を持った『圧』だった…。土日で、実は3回(Decide:2回、Glory:1回)鑑賞して来たのですが、1・2回目は絵ヅラ・音楽の強さと、あまりの情報過多さで、頭パーン!!してしまって;毒い…毒いよ…!!!3回目でようやく…1シーン1シーンの意図だとか、一人一人の演技動作、表情をちょっとだけ冷静な目をもって、脳内に落ち着かせていくことが出来るようになりました。もうそうすると、本当に1カット1カットの情報が、ここまでやるか、と改めて驚くほどに濃密!!この映画は、一言で表現すると…「テニスの王子様」という、一つの確立した大成功パッケージ作品が、20年を経て繰り出して来た、『渾身のカウンター!』でしょうか。*以下、公開直後の映画作品のネタバレあり感想です。未鑑賞の方は、お気をつけください*ジャンプ作品では、2009年に尾田栄一郎先生を製作総指揮として、「ONE PIEC FILM STRONG WORLD」が公開され、大ヒット&ワンピースブーム再熱を巻き起こして以降、15年、20年と続く人気作が続々と渾身の「作者監修映画」を発表して来ました。私は、やはりもともと大ファンだった、・「ONE PIEC FILM STRONG WORLD」(2009年)・「銀魂 完結篇」(2013年)の2作がとにかく衝撃で、何度も何度も劇場に通いました。この2作は、作り方としてはすごく似ていると感じていて、「主役の船長(ルフィ)と銀さんが一番テンションの上がる部分(絶対に譲れない部分)」を核に持ってきて、その上で話筋として、「さらわれるヒロイン助けに行く!守る!」とか、「(未来や過去に)タイムスリップ!」という、王道中の王道を据えて、主人公(たち)のなりふり構わなさで熱く2時間弱を突っ切る!。そういったお話・テーマの骨格を、どこまでも作者様独自の一番得意とする感性で彩る・肉付ける…ONE PIECEでしたら、弱肉強食(多数の動物)・春夏秋冬・空島・正装討ち入り…といったどこまでも欲張った、ワクワクする絵面・シチュエーション。銀魂でしたら、銀さんの主観一辺倒で、5年後の要素を絶妙に魅せてくる…銀さん主観での、「これは嫌だな」という感情の積み重ねと爆発の経緯、それを緩急の神・藤田監督のキレッキレの演出で叩きつけて来ました。ーで、改めて今回の「新生テニスの王子様」について考えると、上記2作品と、お話筋は非常に似てる部分があります。「主人公のリョーマくんのテンションが上がる部分」というものに特化して、ザ・王道の「王子・姫」「さらわれるヒロインを助けに行く!守る!」という要素と、「(過去に)タイムスリップ!」という要素を掛け合わせたようなお話筋。アメリカの空気感や、ステンドグラスが美しい夜の教会、全米オープン会場の荘厳さ・熱気、…という絵面の面白さもすごく意識していましたし、その上で、今作にしかない感性として、「テニスの王子様」という作品が積み重ねて来たエンタメノウハウ…「キャラクターソング」「ミュージカル」というものを、大々的に組み込んでいます。ただ、上述したONE PIEC、銀魂の2作品が、「この作品の魅力を知っている人なら、『これが観たかったモノ』でしょう!!?」という作りなのに対し、本作・テニプリ映画は、ある意味で真逆のところから入った作品だと思います。連載の初っ端から思いっきり仕掛けてあったのに、この20年、作品の人気拡大に伴い、表立って描いて来れなかった部分、そこだけに焦点を絞った作品でした。『越前リョーマ』という主人公だけに焦点を絞り、下記↓の要素を大々的に魅せて来ていました。・お父さんの越前南次郎さんのカッコよさと、彼への憧れ・ヒロインの桜乃ちゃん・まだ、心身ともに未成熟の「12歳の少年」という観点これらの要素が何なのか、と考えると、共通しているのは、『越前リョーマ』というキャラクターを、少年漫画ヒーローとして立たせていくための要素だな、と思います。許斐先生のインタビューか何か?いろんなところでおっしゃってるそうですが、『越前リョーマ』というキャラクターは、最初、主人公のライバル役として生まれた、とのことです。確かに、少年漫画を描こうと思ったときに、真っ先にこんな子を主人公には設定しないと思うんですよ。元世界で活躍したプロテニスプレイヤーのサラブレット。生まれも育ちも特別な子。容姿も見るからに端正な、誰に言わせても「王子様」…こんな子、最初から「出来過ぎ」「特別」に決まっていますし、まぁ…少年漫画的に考えたら、「鼻っ柱を折りたくなる、いけすかない奴」じゃないですか。この子を、少年漫画の主人公として魅力的に描く…そのために練って練って投入してある仕掛けが、・アメリカへ殴り込んだ「サムライ」というお父さんの人物イメージ、その踏襲・一人の天才少年を、「王子様」に魅せ切る、 「王子様」として頑張らせる、そのための「お姫様」。(ライバルキャラクターとしての、倒すべき「王子様」のままだったら、よっぽど、全キャラでラブコメ仕掛けるぞ!と思っていない限りは、「お姫様」を設定する必要はないと思います。)・中学1年生という、周囲の2~3年生や大人たちに比べ、一回り小さな体格…だったのではないかな、と思います。まんま、今回の映画が「これでもか!!」というほど魅せて来ていたものだな、と思います。「原点回帰」「新生」という言葉が許斐先生のインタビュー等でも散見されますが、とにかく、『越前リョーマ』というキャラクターを、もう一度、改めて「魅力的な少年漫画ヒーロー」として決定づけたい、提示したい、「これが、『テニスの王子様』だ!」という、そういう映画だったなぁ、と思います。テニスの王子様の旧作・42巻を読むと、特に、青学というフィールドにおけるリョーマくんの、爽快感のある活躍っぷりは存分に楽しめましたし、ちゃんとやりたかったことは出来てるんですよ。ただ、やはり作品の人気が爆発してゆく経緯や、メディアミックス展開として、「(他校も含め)大勢の魅力的なキャラクターたち」を集団アイドルとして魅せてゆく、ここの部分があまりにクオリティが高く、優れていた。(もちろん、集団アイドルとしての、これまでのテニプリの展開自体も、原作の連載開始当初より完全に仕掛けてある要素ですよ。青学の先輩たちの作り込みを見ても、「推しを見つけてね」という作りに最初からなっていますし。)「集団アイドル」としての作品の発展に関して、それが「妥協だった」などと言う気は毛頭ありません。ただ、やはり、実在アイドル集団顔負けのコンテンツ量を提供し、女性ファン層が拡大する中で、『少年漫画である』という部分が、「それよりも(もっとファンの喜ぶ部分を)」と言われてしまった感は否めませんでした。特に、「女の子」の要素、『桜乃ちゃん』に関しては、あまりに作品としての「集団アイドル展開」が確立するがあまり、長年、タブー視扱いされるような状況になっていました。ちなみに…テニプリがTVアニメ放送をしていた十数年前、妹はマンガ・アニメ好きの同級生とテニプリの話になった際、「テニプリに女は要らない」と言い放たれたそうで・・・。少女漫画・ジブリ・ディズニー生まれのラブコメ育ち「カワイイ女の子を観るのが漫画・エンタメだ」と思っていた妹が衝撃を受けたことがあるそうです(軽くトラウマ)。当時…というか、それ以降の、この作品内における「女の子」に対する空気感は、分かる方には分かる…と思いますが、傍から見てて、かなり「怖い」ものがありました。(私も、そこまで深入りはしていませんでしたし、詳しいところは知りませんが)今回の映画作品において、この桜乃ちゃんを大々的に魅せてゆくことが、このテニプリというパッケージにおいて、どれほどハードルの高いことだったか…それこそ、表題曲であり、映画クライマックスを飾る♪世界を敵に回しても 。製作側…許斐剛先生の心持ちは、まさにこの楽曲タイトルが体現していると思っています。繰り返しになりますが、これまでの集団アイドルとしての作品展開が、「妥協の産物だ」などということは一切ありませんし、むしろ、その展開があまりにクオリティ高く、パワーを持っていたことで、「テニプリっぽい」と感じるような、追随コンテンツを多数生み出し、「テニプリは、いくつもの文化形成をした、先駆者・パイオニア、そしてレジェンド」と言っても過言ではない存在と成り得たんだな、と思っています。今回の映画は、その道(アイドル道)を突き詰めて、20年…追随コンテンツも数多く生み出されていく中で、「集団アイドルコンテンツ」としての世代交代・流行廃りも、(おそらく)実感としてあるでしょう…じゃあここで、「テニスの王子様」というパッケージの繰り出してくる一手として、この作品しか、持っていないもの…最大の切り札であり、隠し(てたわけではないですが)札だったのが、「この作品は、越前リョーマという『テニスの王子様』を魅せて行く少年漫画なんだ」という、『原点回帰』であり、今回の映画は、その『原点回帰』を、『これまで描けて来なかった要素を核に据えた形』で、もの凄い力で踏みしめる、そして、漫画の連載開始時と同様に、「少年向け(より広くは一般層向け)」の体裁で、形作る、そういう作品だったのだと思います。まさに、『新生』だな、と思います。また、パイオニア・レジェンド自身が、(自身が生み出し、形成した文化の流れに逆らうニュアンスも含め)ものすごい熱量で繰り出して来た『渾身のカウンター』だとも受け取れるような、凄い作品だな、と。もともと「集団アイドル」をやろうとしている追随文化には、絶対に真似が出来ないやり方だと思います。作中、リョーマ君の印象的なセリフで、「逃げるのをやめた!」「勝って、道を切り拓く!その方が楽しいじゃん!!」というものがあるのですが、もう…まさに!!!コレこそが、本作品の存在意義。やりたいことが見事に凝縮された一言だと思います。…感動しました。鳥肌が立ちました。ここまで書いて来て、「今回の映画は、こういう意図の作品なんだな」という理解…は漠然とあるのですが、実際に「テニプリ」という歴史・実績あるパッケージ内で、この映画作品を形作るのは、口で言うような簡単な話ではなかっただろう、とつくづく思いますし、とにかくもう…本映画製作主体の志の高さ、許斐剛先生のどこまでも貪欲なクリエイティブ力に、『感服』の一言です。こんな凄い熱量の作品に出逢える瞬間があるから、『だから、エンタメは、やめられない!!!』と強烈に感じました。この作品に対して、「これが見たかった『テニプリ』だ」「これは見たくなかった『テニプリ』だ」等々、自分にとっての良し悪しという点で、様々な感想はあると思いますが、総じて、「つまらなかった」という感想は、まずないと思います。こんなに真剣で、あらゆるシーンで観客をビクつかせにかかってくるような、ド真面目にはっちゃけた作品を鑑賞して、何も感じない方は居ないだろう、と。観れば、分かる。この映画の凄さは、観れば、分かります。私は今回、この映画を鑑賞して、『テニスの王子様』『許斐剛先生』の考えた方や、これまでやってきたことをまじまじと捉え直すことができました。やっぱりこれまで、この作品を見るときに、どうしても「作者様が、やりたかったこと、描きたかったものを、押し殺している部分のある作品だ」、と認識してしまっていました。私(と妹)にとっては、『若干の心の傷』『ふわっとトラウマ』。集団アイドル展開が、勢いがあり、クオリティ高く素晴らしいことは分かっていますが、どうしてもよぎってしまう思い…「最初は、ちゃんとリョーマ君が主人公の少年漫画だったんだけどな」、「主役のリョーマ君、この部分だけの子じゃなかったんだけどな」「テニスの王子様の隣には、最初からテニスのお姫様として桜乃ちゃんの存在が設定されてたんだけどな」・・・この思いを抱えた状態で、手放しにコンテンツを楽しむことはできませんでした。今回映画は…まさに、「ココ!!ココが出していけるのであれば!!私達の『テニスの王子様』に対する、心の曇りは晴れる!!!私達も、向き合える!!!楽しめる!!!」…そう思える作品でした。過去20年、近しい漫画文化にどっぷり浸りながら、決して踏み入れようとしなかった「テニスの王子様」に、ものすごい勢いで振り返えりました。大ファンになりました。ここまで、映画感想の前置きなんですけど…長くなりましたので、各キャラクター・シーンについては別記事でまた語ります。とにかく、…これは、凄い。by姉