巨大地震後の徒然・その2・3月27日(日)
昨日市報の号外が届いていました! 塩釜郵便局は海の近くの平らな所にあるため津波の被害を受け、郵便物は全く届かず期待していなかったので郵便受けを見る習慣がなくなっていました。一昨日、七ヶ浜に住む友人の娘さん達が顔を見に来てくれて、沢山いただいたからとコーンビーフの缶詰を分けてくれました。お返しする物が何もなかったです(=_= )七ヶ浜町は塩釜市と多賀城市に地続きで太平洋に突き出た小さな半島です。ラーがお腹にいた時と出産後1歳半までの2年間、七ヶ浜の東宮浜と言う所に住んでいました。今回、七ヶ浜の海岸沿いのぐるり全部が津波にやられたそうで、ネットで探してみたら島の面積の三分の一ほどに津波が届いていました。真ん中にある汐見台と言う新興住宅地と高台の家以外は軒並み流されたらしいです。そんな大変な所から娘さん達が2人、自転車で私達の様子を見に寄ってくれてお互いの状況確認を駐車場で話していたしていた25日の午後、何と郵便配達のお兄さんが赤いバイクで配達していたのです!!(`・ω・´)!「あーーーっ!郵便屋さんだ!!!」「本当だー。良かったですね!」塩釜港や仙台港からの津波は湾の海底に溜まったヘドロをも連れて来たため、塩水に浸かったり流されただけではなくドロが堆積し、悪臭がして、水も出ないと来ては綺麗にするのが大変だったろうなぁと思われ、うちに廻って来た郵便局のお兄さんに涙ながらに声を掛けて感謝したのでした。配達のお兄さんも元気な笑顔で「配達始めました」と答えてくれました。もうね、元から涙もろかったけどこの巨大地震からは最高に涙もろいです。市報号外を見ると見慣れた街が破壊された写真や塩釜湾に点在する浦戸諸島の壊滅的な様子が目に入り、目頭が熱くなり胸が苦しくなりました。亡くなられた方が26人行方不明者が36人と書いてあり、もっと苦しくなりました。塩釜と松島は入り組んだ地形のお陰で他所の海沿いより津波が高くなかったようですがそれでも建物は破壊され亡くなった方や行方不明の方がいらした。今日まで塩釜の被害人数は知らなかったので衝撃を受けたのでした。これが万単位で亡くなったり行方不明の所はどれほどの重さなのでしょうか。それから行政からの地震の詳しいデータを初めてはっきり見ました。●東北地方太平洋沖地震・平成23年3月11日 14時46分・発生マグニチュード(暫定値)9,0・本市の震度(市役所に設置の震度計)7・最大潮位 16時02分370cm 塩釜は震度7だったんだ!!だからエスプのガラスが割れたのかーー!それにしては民家が潰れずに凄い事だと思いました。うちの西隣の脇が10メートルほどの崖なので西隣や西向かいの敷地にひび割れが沢山出来て家も一部ヒビが入りましたが、倒れる事はありませんでした。聞いた所によると古川では家が倒壊したそうで強制退去になったらしいですが、その後はどうなったでしょうか。津波の余りの壮絶さに地震の被害は殆ど触れられていないです。でも古川や栗原が震度7で大変だったろうなと思っていたのですが、まさか塩釜まで震度7だったとは。では地震後に出たデータはあまり確かでは無いと言う事でしょうね。海沿いの国道45号線が津波によって使えなくなっていたため暫くはうちの近くの道路や塩釜駅前の道路を緊急車両が走り回っていて何日間もずっとサイレンが何十台分も聞こえていました。11日と12日は防災サイレン以外何も音がしませんでした。今思うと地震被害で大変な所に津波による壊滅状態で行政関係も民間人も全く動けなくなっていたのでしょう。街中にある防災サイレンの切羽詰った音と、緊急車のサイレンが重なって一日中恐ろしい音が鳴り響いていました。中学校の校庭に緊急ヘリが離着陸を繰り返していました。もう建物の間からヘリが現れても誰も驚かなくなっていました。塩釜の消防署も津波にやられました。走っている救急車や消防車は殆どが遠い所のものでした。それを見て心の中でありがとうございますとお礼をしていました。遠い地までやって来て不便で不自由な中走り回って下さりありがとうございますm(_ _)m家や家族や大事な方をなくした方々が希望を失くしませんように。