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テーマ:自分を知る(166)
カテゴリ:
次回のグループカウンセリングに行く前に
前回の事を、
この一ヵ月半の間
考えていた事をまとめてみようと思いました。

8月14日のグループカウンセリングでは
ジェノグラムを書きました。

ジェノグラムとは
簡単に言えば
3世代ほどを遡った家系図の事です。

女性か男性か、
夫婦か子供か、
既婚か離婚か、
死亡か何歳かなどを
図にして書いて行きます。

書きながら思ったのは
私の今の癖や決めた事は
子供の頃の環境が
大きく左右しているのだ
という再確認でした。

それは自覚していたよりも大きくて、
私が小学校に上がるまで
母の実家にいた事が
結構大きい出来事だったのだと
改めて思いました。

つまり自分の家に戻った時、
独裁者の祖母への恐怖と
姑への嫌悪と恐怖と自尊心とで
ぐちゃぐちゃになっていた母と、
王子様のように威張っていた弟の
この3人が強力で、
私の居場所がなかったのだと
改めて思いました。

だから無意識に
人に合わせるような所が強いのだと思いました。

私の大まかな性格は父に似ています。
そして居場所も味方もいない私は父を見ながら、
いつも逃げ回る事を
学んでしまったのだと思います。

憶えている事は沢山あります。

例えば小学校低学年の弟が
夜一人でトイレに行くのが恐いと
母に泣いて訴えていました。
母はガミガミ言いつつも
結局は弟に付き合うのです。

実は私も、
半分外にあるトイレが
夜になると
恐ろしい場所だと感じていたのに、
弟の泣き喚く姿を見て
なんて見苦しいのだろう
なんて我儘なんだろうと思い
恐くても恐いと言うのは止めよう
と心に決めたのです。

恐くても恐いと言わなくなったのは
それからでした。
年上の私が2歳下の弟を見て
影響されたのです。

うちは祖母が両親の給料を没収して
わずかなお小遣いしか渡さなかったため
いつも貧しい食事と、
必要最低限度の物も
買ってもらえない状況にありました。
そんな中でも
夕食はわずかな楽しみでしたが、
おかずの焼き鮭の大きさを選ぶのは
弟だけでした。

弟は一番大きい物を選び
食べる直前に
「やっぱりこっちが良い!」
と取り替えたりしました。
それを見ていて私は
なんて見苦しいと思ったのです。

おかず一つをこれだああだと選ぶなんて
見苦しいと思ったのです。
自分はそんな見苦しい事はするまいと
思ったのです。
それに、
それは弟にだけ許されていた事で
私に与えられていた権利では
ありませんでした。
私は黙って受け入れる事しか
許されていなかったのでした。

書いていて思ったのですが、
もしかして私は
自分に与えられなかった権利について
自分を納得させるために、
したい放題が許されている弟を
軽蔑したのかもしれないと今思いました。

自分に都合が悪いと
口が達者な弟は私に罪を被せたのですが、
私はそんな弟を見て
卑怯者にはなるまいと決めたのでした。
小学4年生の頃です。
弟は口が達者で頭の回転も速く
状況を見抜くのが上手かったので、
自分に不利になると私のせいにし、
それでも不利な状況が改善しないと
今度はわんわん泣いてその場を凌ぎました。

私はそれを見て、
自分が悪くなければ
絶対に泣くまいと決めたのでした。
小学4年生の頃です。

姉弟ケンカをしていただけで
家の隅に追い詰められて、
母から往復ビンタをされたのですが、
大抵弟が私にちょっかいを出し
ズルをするので、
私が腹を立ててケンカになるのでした。
でも母は喧嘩両成敗と言って
事情を全く聞かずに、
弟と私に往復ビンタをしました。

弟は叩かれる前から泣いていました。
だから私は泣きませんでした。
私は悪くない。
ケンカの理由を何も知らないお母さんが
私を叩く権利はない。
私は自己表現が下手でしたので
言葉になりませんでしたが、
そう言う事を感じていたのでした。

そして私の両親は
「子供は言葉で言っても解らないから
体で教えてやる」
と言う考え方の人達だったので
親の言うことを聞かないと殴られました。
私は親に逆らったので
18歳まで殴る蹴るをされました。

多分、
正面から立ち向かっている
不器用な姉を見ていた弟は、
自分の不利にならないように立ち回るのが
とても上手くなったのだと思います。

あの気の小さい弟を、
過剰に神経質にさせた要因の一つに、
私の無防備で、
真っ正直な反応があったろうと
最近思います。
弟は立ち回りが上手くて、
小学高学年からは
親に叩かれた事がないです。

私は、
私を否定し
何もかも悪い所を責めて罵り、
要求するだけの、
私を人間として扱ってくれない親の言うことなんか
絶対聞くもんかと思っていたのでした。

私は感性が鋭くて
観察力があるのに、
とても愚鈍な子で、
表現力も全体を見通す力も稚拙な、
バランスの偏った子供でした。
だから本当は
大人の知恵が必要な子供だったのです。

今思えば、
私ほど大人の知恵を必要とした子供はいないのではないか、
と思うほど私は幼くて純粋で無知でした。
でも私の味方は猫だけでした。
幼い少女は知恵を学ばず
愚かな道を下って行くのです。
何が愚かなのか
知らないのですから。

もう少し知恵があれば。
味方がいてくれれば、と
未だに思わずにいられません。
そうして私は
未だに自分を責めるのです。
私に味方がいなかったのは
私の責任ではなかったのに。

でも、
猫がいただけ幸せでした。
猫と過ごした午後は静かで、
誰も私を責めたり
利用したり
罵ったりしないので、
幸せな時間でした。

だから家に誰もいないと
とてもうれしいのでした。
家に誰かがいると、
未だに緊張します。
誰かが私を利用しようとしている、
と感じるのかもしれません。

母の実家は大きなお寺で
常に人が出入りしていました。
大人しかいないので
保育園から帰った私は、
大人の邪魔にならないように
いつも一人で遊びました。
保育園は近いのですが
遊びに行くといじめられるのです。

何故なのか今思うと、
元々が地元の子じゃないからだったのか、
私がぼんやりして
人に言い逆らえない子供だったからか。
でも保育園の娘さん(私の2歳下)が
とても正義感の強いしっかりした子で、
私を守ってくれました。
何度か助けてもらった記憶があります。

こういう経験も
根深い何かに影響しているのかもしれません。
困っている人を見ると
見過ごせない所とかに。

ぼんやりしているくせに
私は大胆な所もある子で、
ブランコから飛び降りて怪我をしたり
(その時のふわっと飛んだ感覚も
 落ちで両膝を打撲した事も
 未だにはっきり覚えています・笑)

母の同僚の方の家まで
一緒にバスに乗って付いて行き、
晩ご飯をいただいている間に
行方不明事件に発展して、
母の実家では
大騒ぎになってしまったり。

人見知りをしない子なのは
お寺で培われたのかもしれません。
後は父の遺伝でしょうか。

父は短絡な人で
大抵は笑っていましたが、
すぐにカッとなる人でした。
そして重大な話し合いになると
すーっと消えて逃げる人でした。

父の父(私の祖父)は
父が3歳の時に病気で亡くなったため、
私の父は自分の子供が大きくなった時、
父親としてどう接して良いのか
解らなかったようです。
それでスパルタ教育を
取り入れたのではないかと思います。

小学3年生か4年生の時に
両親に呼びつけられ、
正座しろと言われて、
弟と私は並んで両親と向かい合い、
「今日から我が家はスパルタ式で行く」
と宣言されたのでした。

その頃の私と弟に
何が解るでしょうか。
理由も聞かずに殴られるなんて。
大人と言う
卑怯な暴力だと思います。

思いつくままに書きましたが
育った環境の大きさをつくづく感じています。
私が、
父に影響を受けている事は気付いていましたが、
弟の事でこんなに大事なことを
子供の頃に決めるキッカケになっていたとは。

でもそれも
家族の性格や関係や、
私が母の実家に預けられていた事など、
あらゆる事が関係して
今に至るのだと思いました。

大人になって考えると
祖母の悲しさも大変さも、
両親の思いも解りますが、
私は自分を守るために、
必死で自分の決まりごとを
作っていたのではないかと思いました。

私は卑怯者にはならない。
私は嘘つきにはならない。
私は人を利用したりしない。
私は恐いと人に泣きついたりしない。
我儘は見苦しくてずるい。
我慢は良い事だ。

人の話を聞こうとしない大人にはならない。
理由も聞かずに殴る親にはならない。
感情むき出しの
祖母・母・弟のようにはならない。
感情的に泣き叫ぶ人間は醜い。
私は人前で泣き叫んだりしない。

私は理性的な人間になる。
私は人に危害を加えない。
私は人を大事にしよう。
私は人を傷付けたくない。
そして小学高学年で読んだ
児童文学全集の「聖書物語」で
私は理想の人を発見したのでした。

その理想の人のようになりたいと思って
知恵のない子供が行った事は、
あらゆる面で
他人を優先する事でした。
そうか!!
それで拍車が掛かったんですね、私。
祖母・母・弟のようになりたくない
と思う余りに、
逆の方向に爆走してしまったんですね私。

私はずーーーーーーっと
どうしてこんなに正義感が強いのか?
私はどうして見ず知らずの困った人を
自分を犠牲にしてでも助けたいのか?
何故、人の必要のためなら
死んでも良いと思っているのか?
ズルイ人を見ると
激しい憎悪が掻き立てられるのは何故か?
我儘な人を見ると
何故軽蔑してしまうのか?
無意識のうちに
他人を優先してしまうのは何故か?

これらはどこから来て
私の芯になっているのか不思議でした。
これらは多分
環境で身に着けたに違いないと、
今思っています。

何と言うか
とても複雑な思いで昔を思い出します。
やはり
一人でも味方がいてくれたら、
と思っている私がいます。

誰も助けてくれなかったので、
家は戦場のようであり、
私は自分を守るために
正義感や頑なさや反抗心で身を固めたけれど
大人の環境の影響は大きくて、
一番目に苦しいのは、
無意識に他人を優先してしまう事です。

自分を優先すると
悪い事をしている気持ちになってしまうんです。
自分を大事にすること。
大きな目標です。

毎日色んな事を書き付けいてる
小さなクロッキーブックは、
今年の始めに使い出したのが一杯になり、
一昨日から新しくしました。

毎回、
1ページ目には
その時の大事な思いを書きます。
目標だったり、
私に必要な言葉だったりします。

今回の言葉は
「自分を許すための
旅に出ようではないか!」
でした。

こんなにアクティブな言葉は
初めてかもしれません。
ようやく前向きになれたのかもしれないと、
自分でこの言葉が浮かんで
書きとめた後で思いました。

前を向いているかもしれない!!!

これは私にとって
非常に大事な事で、
少しは変わっていると言う
大事なサインです。

うん。

やはり人は苦しまないと
大事な事にたどり着けないのかもしれないので、
今の苦しみも大事にしようと思いました。





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Last updated  June 29, 2022 01:59:32 AM
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