|
テーマ:自分を知る(166)
カテゴリ:心
昨日の
クローズド・エンカウンター・グループカウンセリングでの出来事と その後について考えてみた。 大分曖昧にしか憶えていないのだが、 先月の グループカウンセリングを 私が休んだ原因についての話をした。 私は理不尽な対応をされたと言う感情が いつまでも残っていたのだが お互いのコミュニケーション不足による 誤解が原因と解った。 私は 良かれと思った事が原因で 誤解をされると言う経験は 高校生の頃から やたらと繰り返しひどい思いをしたせいか 恐怖心や悲しいと言う思いだけで 気持ちが塗りつぶされてしまい、 話をしているうちに 泣き叫んでいた。 人前で初めて大声で泣きながら 叫んでいた。 私は弟のように 自分を有利にするために泣く と言う事は絶対にするまいと 小学4年生の頃に決めたし、 悪感情をぶつけ合い 罵りあう祖母・母のようになりたくない と言う気持ちから やはり小学4年生で 私は感情的にならない と決めていたので、 この 人前で感情的な素の自分を曝け出して 泣き喚くと言う行為は 大変な事だった。 ようやく私も ハードルを乗り越えたんだなと その後は少し気が楽になった。 予想していた罪悪感や嫌悪感は それほど感じなかった。 午後は 私がとても辛い経験を淡々と語る所が 辛い内容と高い声に違和感がある、 と言われ 同じ感想を持った人が何人か 私が感情を抑えている事について話をした。 話の内容は辛いのに 私の感情が伝わって来ないと言われた。 私が辛い話をする時 いつも母から否定されていた子供の私が 今辛い事の責任を取らされているみたいで 可哀想だと言う人がいた。 するとそれはその子供が悲しんで 今訴えているんだと思うと言う人がいた。 それを聞いているうちに 私は味方のいない子供の自分を守るために いつも必死で生きていて 生きるために今のような 感情を排除した 平気そうな表現の仕方を 身に付けたのだ と言う思いがわき上がって来ていた。 私が高校生の時に 感情的な発言をした時 友人から「迷惑だ」 と言われた事がある。 それ以来 自分の正直な気持ちを表に出す事が 出来なくなったのだと思う。 親から否定され 教師達から好奇と先入観の目で見られ 友人達からも敬遠されて 私は完全に行き場を失っていた高校時代。 幼い私があれ以上、 何が出来たと言うのだろうかと思っていると 胸が重たくもやもやして来て すごく苦しくなった。 それを我慢していると 胸の苦しみが増して行き みんなの話し声が どんどん遠くに聞こえる様になった。 息をするのも苦しくなって 浅い呼吸をしていたように思う。 みんなの話し声が どんどん遠くになって行くのを感じた時 「私は離人症になる」と思って ノートに走り書きした。 離人症の事をよく知りもしないのに。 そうしてみんなの話を聞くのが辛くなって 「放っておいて欲しい」 「うるさい」 と感じていたら 明るさが辛く感じたので目を閉じた。 目を閉じると 暗い所がとてもうれしかった。 そして みんなの話声や存在が遠くに感じた。 私の周りに水の壁が出来て 皆が水の向こうにいて 歪んで遠く感じた。 Mさんが近くに来たようだったが やはり水の壁越しにいるように感じた。 水の壁越しに私に 呼吸を深くするようにと言った。 深呼吸をして下さいと言われたが 私は深呼吸が出来なかった。 水の壁の向こうで 皆の存在がぼやけて感じるので 少し安心した。 きっと私は 私の心を守っていたのだと思う。 脳の中で 周囲の状況を切り離したのだと思う。 Mさんが周りがどう見えるか尋ねた。 きっとMさんは私に何が起きているのか 解ったんだと思う。 「水の中にいるようです」 と私は言ったと思う。 「皆が遠くに感じます」 と言ったかもしれない。 非現実的なふわふわした状況だったので よく憶えていない。 胸が重たくてぎゅうぎゅうに詰まっていて 苦しかったので 呼吸がうまく出来なかった。 左手に持ったサインペンの端っこを 親指の爪でガツ・ガツ・ガツ・ガツ・・・ と弾き続けていたのは 憶えている。 その音だけに集中していると すごく楽な気がした。 何ももういらないと思った。 Mさんが「どうして欲しいですか」 と聞いた気がする。 「放っておいて欲しいです」 と私は答えたと思う。 私は放っておかれたかった。 もう何かを色々言われたくなかった。 私は今だって昔だって 死にそうになりながら必死で生きて来たのだし 間違った選択をいっぱいして来たけれど それでも私に出来うる限りの ぎりぎりの所で生きて来たのだ。 人から色々言われたくない。 否定されているように感じる 私の癖だと思うけれど 私はまだそれを 耐える事が出来ないのだと感じた。 だから水の壁の中にいて 私は周りから遮断されて守られている気がした。 少し安心したら 両目から涙が流れた。 そうして自分を守っていたのだと思う。 心を現実から隔離して 自分を守っていたのだと思う。 左手に持ったサインペンの端を ガツ・ガツ・ガツ・ガツ・・・・・と ずーーっとリズミカルに 親指の爪で弾き続けていた。 このままずーーっと 水の中にいたいと感じていたのだと思う。 静かになった部屋の中で サインペンを弾く音だけが響いていた。 水の中のくぐもった音。 また涙が 左右の閉じた目から流れ落ちるのを感じた。 その中で静かにしていると 少しずつ気持ちが楽になった。 重くて苦しい胸が 少し楽になった。 Mさんが「目を開けてこちらを見て下さい」 と言った気がする。 私は目を開ける気力はなく ずーっと目を閉じていたが かなり暫く経ってから ようやく目を開ける事が出来た。 薄い現実感の中で 皆が薄く見えた。 Mさんと何か話しをしたような気がするが その後の詳しい事は記憶が曖昧だ。 少しずつ 現実感が戻って来たのだと思う。 その後はふわふわした感じで 爽やかな気持ちもしていた。 一日経って 昨日私の身に起きた事は何だったのだろうか? と調べてみた。 解離から調べた。 どうやらやはり「離人症」らしい。 「心的外傷への自己防衛として、 自己同一性を失う神経症の一種」 と書いてあった。 アダルトチルドレン・PTSD(心的外傷ストレス障害)・ 虐待を受けた子・犯罪や災害や事故や戦争体験者がなりやすい と書いてある。 どうしてあの時 離人症になると解ったのだろうか? 多分、昔に調べた事を 脳の中で記憶していたのだろうと思う。 あちこち調べていると 私のやたら詳しい記憶の中で 小学1~3年の期間だけ抜け落ちているのは 解離性健忘と言うらしいと解った。 自分を守るために 辛い事は忘れるらしい。 自分を守るために 現実から切り離すらしい。 調べながらまた胸が苦しくなり 惨めさと悲しさに支配されてしまった。 また離人症になるのかと怯え 半年以上飲んでいなかった坑欝剤を飲んだ。 今日の私は、 安定剤だけでは守れない。 本当に打たれ弱い人間だ。 自分で自分を守り切れない。 内心で 「くそう!」「くそう!!」 と毒づいている。 離人症を調べいていて思い出したのだが 高校生の頃はよく 寝ていて天井の近くに浮いたり 床をすり抜けて 階下や地面の下にまで落ちて行くような 普通の感覚ではない状態になった。 あれも離人症だったようだ。 やはり当時も 必死で自分を守ろうとしていたんだと思う。 高校生の頃は 毎晩泣いていた記憶しかないが、 あの頃だって今だって あんまり変わっていないのかなと思うと 残念なのと 私は私だと言う思いの両方の気持ちがする。 そういえば19歳の時も 1ヶ月くらい 霞のような世界で生きていたのを思い出した。 現実味の希薄な頼りない世界で K子ちゃんの優しさを頼りに 生きていたのだった。 そうやって限界ギリギリで 自分を守っているんだな脳は と思う。 偉いな脳はと思う。 本人の自覚無しで しっかり自分を守っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[心] カテゴリの最新記事
|