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April 14, 2010
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カテゴリ:娘の不登校
先日、
娘(17歳)が高校生になった。

小5で不登校になり、
7年間のたうち廻りながらの模索の結果が
少し見えて来て
娘は高校に行く事を自分で決めた。

でもどこかで期待し過ぎないようにと
自分に言い聞かせていた。

こうすべきだと思っても
自分の本心を絶対に誤魔化せない
素晴らしく自分に正直な娘なので、
もしかしたら建前で行動して
身体が反応してアトピーが悪化したり、
うつ状態になったりするかもしれないと
その心の準備もしていた。

これまでがいつもそう言う反応で、
本心から納得していないと
娘は身体が反応するから。

だからオリエンテーションも
入学式も
内心は「ものは試し」的な思いで行った。

顔が腫れて来ないか、
お腹が痛くならないか。
頭が痛くならないか。
顔が暗くないか。

笑いながらも何が来てもどんと来い!
と思いながら準備した。
でも娘はオリエンテーションも入学式も
平気そうだった。

入学式では娘のすぐ傍で、
金髪ヤンキー系の少年少女達が
始めから終わりまで
ずーーーっとしゃべりまくっていた。

娘は昔、
そう言う場を壊す人が嫌いだった。
イライライライラして
許せなかった。
我慢するとアトピーが悪化して
些細な事で感情が爆発した。

だから今回はどうなるのかと
保護者席で見ていたのだが、
全てが終わって帰る道すがら聞くと

「いや~~~ヤンキー兄ちゃん達が、
 本当に有り得ないくらいの低俗なシモネタを
 ずーーっとしゃべってて、
 面白くて笑ってしまった。
 
 しかも後ろにいたお姉ちゃん達も
 しょうもないシモネタばっかりしゃべってて、
 生のシモネタを初めて聞いて
 実に面白かった~~。

 その上、脇の兄ちゃん達と後ろの姉ちゃん達が
 初めて会ったその場で意気投合して
 一緒にシモネタ三昧してて
 実に興味深かった。

 でも端っこにいた真面目そうな男の子が
 兄ちゃん達と姉ちゃん達に囲まれてて気の毒だった。

 面白かったけどうるさくて、
 校長先生の話も他の先生の話も
 一切聞こえなかった」

と笑っていて、
とても楽しんだ様子だった。

ほおおおーーー。

あの気難しく
デリケートで怒ってばっかりいた娘が1時間、
低俗なシモネタしか語らない連中に囲まれている状況を
ニヤニヤしながら楽しんだだと!

ほおおおおーーー。

娘はいつの間にか
以前とは違う視点で物事を見る人になっていたようだ。
これなら大丈夫かもしれない
と思った。

そして今日、
個人面談に一人で電車で行くと言い、
生まれて初めて一人で電車に乗って出掛けて行き、
一人で電車と徒歩で帰って来た。

これだけ見ても、
この7年の道のりは険しく多難だったが
実りあるものだったと思える。

多分、
娘は一人で自分を見つめたこの7年間で、
孤独と独自性を乗り越えて来たのだろうと思う。

7年間、
みんなと違う道を歩んで
自分を見つけて来たのだと思う。
娘はもう大丈夫かもしれない
と思った。

通信制の先生方は人間としていい人達だった
と娘が言っていた。

小学5年の時、
娘のクラスメートは担任の先生を諦めた。
娘は諦めなかった。
だから学校に行かなくなった。

大人に娘は騙せない。
娘は人の心の大事な所を見抜く直感が鋭いから。

その娘が通信制の先生方が
とても話し易いと言った。
そして7年振りに家で勉強をした。

幾ら勧めても決してやろうとしなかった勉強を
今日自らやっていた。

何とも濃くて長い7年だった。
娘は最初心身症になり、
うつ状態が続き、
不登校センターや小児精神科へ行ったけれど、
何にも得られるものがなかった。

不登校のきっかけになった担任の先生と
私は心の交流を図ろうと四苦八苦したが、
あの先生は自分でも気付いていない
固い堅い壁で自分を守っていたので、
壁を揺らす事さえ出来なかった。

校長先生と何度も話し合ったが、
教師を守る立場の視点しか持ち合わせない人だったので、
人間としての交流はおろか
教師としても理解し合える事はなかった。

でも教育事務所で行っていた
不登校児の保護者の会で出会ったカウンセラーさんのお陰で
私は自分の問題点を知り、
多角的なものの見方を掘り出す事が出来るようになった。

自分を縛っているのは自分。
自分を苦しめているのも自分。
最近それが良く解るようになった。

その間に
母が認知症になり通いで看病生活が始まった。
夫が仕事を辞めたり求職で苦労したり
うつ病になって経済的に追い込まれた。

息子が専門学校を辞めて
自分の生き方探しに彷徨った。
母が胆のう癌で亡くなったり、
私が叔母の世話をするようになった。

今思い返すと、
この7年の間に沢山の大変で辛い出来事が
見事に集中して続いた。

自分の事はいつも後回しにするしかなく
そうするとしばしば寝込んだり
パニック症状や過呼吸になった。

それでも自分の縛りを解いて行くうちに
少しずつ寝込む回数が減り、
出歩く事や生きている事が楽になって来た。

それまで夫の独裁状態に怯えて
逃げてばかりいた私は
ようやく勇気を持って夫に正面から立ち向かうようになり、
飲み込んでばかりいた思いを伝えたり、
夫のストレスをぶつけられる
一番の被害者だった息子との間に入って守ったり、
息子に我慢しないで思いを伝えるように
言いたい事は何でも言うように励ました。

そんな風に娘の事をきっかけに
家庭内での問題点をほぐして
少しずつ家の中に風が吹き
徐々に「帰りたい家」に変わって行った。

寝込んでばかりいた私が
カウンセリングで己と対峙する事で
自分で縛りつけていたあらゆるものを
少しずつ外すようになった。

あらゆる色んな現実と対処しつつ
時々狂いそうになって
夜の海で叫んでみたり、
一人で図書館通いをしてみた。

経済的に搾り出せる所で
ワークに参加したり、
修学旅行や研修などに参加した事のない娘に
色んな所を見せたくて、
東京までLeadのライブに連れて行ったり
ニコ動のライブに連れて行った。

パソコンを始めてタイピングを練習したり
マイCDを作ったり、
デジカメで写真を撮って
プリンターで加工したり、
ブログを始めてネットでの交流に
心浮かれたり沈んだりした。
PTAの仕事を5年間やって、
娘の何倍も学校に行った。

凄まじい7年間だった。

娘が不登校になってから
私の鬱もぶり返して、
掃除や片付けが
殆ど出来なくなってしまった。

小さい頃から
いつも一人にされていた私は、
一人の時間がないと
家事が出来ない人間になってしまっていた。
あれから家には誰かしらがいて
一人になる時間がなくなってしまった。

外に出ないと一人になれない家になり、
私は
一人じゃなくても自分のやるべき事をやれるように
訓練されたのではないかと今思う。

だけど奥の六畳間は
溜め込んだ物や片付けないために積み上がった物で
通路意外は埋められてしまっていた。
私の惑いと混乱を象徴する状態が
この奥の部屋になっていた。

これから娘の部屋の背の高いベッドを
この六畳間に移動するために、
六畳間に溜まりに溜まった
7年間の惑いと苦しみと憂いと戦いの抜け殻を
綺麗にすべく片付けに挑んでいる。

7年間溜め込んだ荷物を
やっと片付け始めたものの、
7年間溜め込んだ物も
心の滓も
そうそう簡単に綺麗には出来ないもので、
この10日ばかり
PCになるべく触らないようにして
片付けに専念してる日々である。

(PCを開くと何時間もいじってしまって
 何もしなくなってしまうのだゎ)

娘の小学校や中学校のプリントを見ただけで
胸がキリキリ痛む。
どうして娘だけあの先生が許せないのかと
すごく悩んだものだった。

「あの先生はね、仕方ないんだよ」
と言っていた娘のクラスメート達のように、
何故娘だけ
諦めずに許さないんだろうかと
すごく苦しんだものだった。

不登校が始まった頃、
自分が親から否定された私の辛さを
娘に味合わせたくなかったから、
誰にでも元気に明るく「うちの子は不登校なんです♪」
と笑って言ったものだった。

私が平気そうな顔をしていれば
娘も自分を恥じたりしないだろうと思ったのだった。

2週間、
私は娘と一緒に登校して授業を受け、
昼はみんなとドッジボールをし、
放課後は掃除をして帰った経験で、
娘が何故あの担任の先生を恐いと言い
人間として信頼出来ないと感じたのかよく解ったので、
私は学校に行くのを止めた娘に
それを恥ずかしいと思って欲しくなかった。

娘の純粋な思いを大事にしたかった。

でも反面、
私に覆い被さって来る負担が辛かった。
そう、今だから言うけれど
とてもとても辛かった。

何もかも自分のペースを壊され
私はそれまでの自分を見失ってしまった。
それで
片付けや整理が全く出来なくなってしまった。

鬱が悪化したため脳の働きが鈍って
それまで普通にしていた事が
全く出来なくなってしまった。

15年前に寝込んでばかりだった体調が
少しずつ良くなっていた頃だったので
これはひどくダメージが大きかった。

娘は生まれた時から私にべったりで
片時も離れられない子だったので、
彼女が学校に行っている間だけでも
私は一人の時間を家事ですら楽しめていたのに、
一人の時間がなくなってしまったのは
手ひどいダメージだった。

小さい時からいつも一人で置かれたので
私の基本は一人なんだと思う。
それが片時も離れたがらない娘が
ようやく学校に行って、
何とか私から離れて
友達と遊び廻るようになった小学5年生に
学校に行かなくなってしまったので
親離れが中止されてしまった。

日中同じ居間で過ごし
夜も同じ娘の部屋で寝る。

不登校が始まって鬱になり
夜一人で寝られなくなった娘は
その後3年ほどは
私と一緒のベッドで寝ていた。
寝る時も一人になれない状況に
私のストレスは増大したのだと思う。

庭仕事も綺麗な花も、
洋裁も絵も、
大好きだったものに
心が反応しなくなってしまった。
実に残念だ。
純粋に喜ぶ状態が失せてしまった。

さあ、
これから私の時間を取り戻して
美しいものに感動したり
作り出す喜びを堪能したりしようと思う。

なんて上手く行くか解らないけど
自分を信じられるようになるために
自分を裏切らないで
自分を見つめて知りたいと思う。

自分を知り、
自分らしく生きるためにも
この長くて苦しくて濃い7年間は
私にとって大切で素晴らしい7年間だった。


(2010・04・22 少し加筆しました)





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Last updated  June 20, 2022 11:12:52 PM
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