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テーマ:気ままに独り言(89)
カテゴリ:心
先々週、
午前中から出掛けて用事に追われていた私は 夕方になってお腹が空いたため、 最近の贅沢「ファミレス一人外食」をしました。 夫が仕事を変えてから収入が激減したため、 仕事をしていない私は 超節約生活に突入しました。 ですが、 何しろ24時間家族が家にいて 一人になれる時間は外に出た買い物の時や、 図書館に行った時など非常に限られているので 一人ご飯はとても貴重な時間です。 子供の頃いつも一人だった私は 一人の時間がないと 自分を見失いそうになるのです。 それで超節約生活ながらも ごくたまに一人で食事をして、 時間や人目を気にしないで寛げるファミレスで 本を読んだり手紙を書いたり 考え事に集中したりします。 家にいると目の前の事に追われ、 テレビやPCに乗っ取られ、 本来の自分に集中するのがとても難しいのです。 ですから私にとって ファミレスでの「一人ご飯」は とても大事で贅沢な時間になっています。 勿論ほとんどの場合は 図書館や市民センターでお金を掛けずに 数時間を過ごします。 その日の用事の中には 図書館での本の返却や予約や借り出しもあり、 自分を知りたいと思って借りて来た 「パーソナリティ障害がわかる本 ―「障害」を「個性」に変えるため―」 岡田尊司著、 をファミレスで読んでいました。
某ジャスコにも用事があったので、 そこの中にあったファミレスに入ったのです。 ドリンクバーがあれば ゆっくりハーブティーでも珈琲でも 読書しながら楽しめます。 食事しながらタイプ別に書いてある 「パーソナリティ障害・・・」を読んで 自分がどこに当てはまって どこを自覚すべきか どう対処すべきかを考えていました。 それと同時に、 家族や友人や知人も それぞれに当てはまる部分があって 人はみんな何かしらを抱えて生きているんだなぁ などと感じていました。 そしてドリンクバーに行って 最後の締めに珈琲をカップに注ぎ、 ウキウキした気分で椅子に座ろうとした時に それは起きました。 私がドリンクバーコーナーにいる間に 私の隣のテーブルの席に着いた 4人組の家族がいたのですが、 手前の椅子に三~四十代の母親・ 母親の奥に中1くらいの長男・ 壁際のベンチ椅子の奥に 小5くらいの長女・ 手前側に小2~3くらいの次男の 四人組でした。 3人の子ども達はよく話し、 母親も早口にキツイ口調で突っ込んで メニューについて4人が あれこれ語っていました。 長男がメニューについて 何かを話しました。 すると母親が間髪置かずに スパーン!と頭を叩いて 「おめぇはべらべらしゃべってんじゃねーよ!!」 それは私が調度奥のベンチ椅子に座ろうと 中腰になった時でした。 あまりの勢いの叩いた音と 母親の激しい口調に驚いた私は 中腰のまま固まってしまったのでした。 そのまま4人の会話は続いており、 母親はイライラと一々罵っていました。 私と逆の方を向いていた母親は 私が途中で止まった事に気付きませんでしたが、 私の方を向いていた長男が 私が中腰のまま固まっている事に気付き、 長男の様子で長女も私に気付きましたが 母親と次男は気付きませんでした。 母親の過激な反応は 彼らにとって「いつもの事」なんだなと解り、 しばらく経って 私は努力して椅子に座ったものの、 無意識のうちに左手に持った珈琲を テーブルの上に置き、 右手で口を覆っていました。 目は衝撃のために 大きく瞠っていたと思われます。 口を手で覆い 気を鎮めようと思ったようです。 その様子を長男と長女が見ているのが 私の視界に見えていました。 すると長男と長女の様子に気付いた母親が 私を振り返って見ました。 何かまずいと思ったらしくて 母親は罵り言葉を止めて 少し普通の口調になりました。 私はまた努力をして 口を覆った手を外し、 まさしく自分のコンプレックスや 生い立ちの歪みによって植え付けられた 人格障害にどう対処するか、 と言う内容が書いてある本を手に取り、 何もこんな本を読んでいるタイミングで こんな過激な母親が隣に来なくてもと 複雑な思いで読み始め、 ノートにメモを取ったりしていたのですが 心臓はまだバクバクしており、 常に罵られて操作されていた叔母や 私の子供時代の事を思い出して、 この子達は将来 どんな歪みを持って生きて行くのだろうか? と考えたりして、 ぞっとしていたのでした。 すると 私が自分の事に集中した と思ったらしい母親が 本来の自分を取り戻したらしく、 メニューに感想を言っている子供達に (私にはののしりにしか聞えない) 言葉を掛け始めました。 「オマエ、足を上げてんじゃねえよ!」 「しゃべんな!!」 「うるさいよ!」 「オマエはしゃべんな!!」 「触んなよ!」 イライライライラの口調で 引っ切り無しに 子供達に声を掛けている母親。 (私には罵っていると感じる) 次男が持って来たスープの量が多かったようで テーブルにこぼしたらしく、 「ほれ、言った通りだろ! 多いんだよ! さっさとゾーキン持って来い!!」 こぼしたくらいで 罵られていました。 私が子供時代の食卓は 祖母が睥睨する中で静かに進み、 やはり味噌汁をこぼしただけで ひどく罵られて、 些細な失敗も許されない恐怖が 刷り込まれたのでした。 隣の4人家族は、 母親がいくらギャーギャー言っても 子供達は一見 何も気にしていないようでした。 母親の言葉には反応せず 自分が話したい事を話しています。 子供達は普通の口調で話しているのに 母親だけ早口に叫んでいました。 何か、 ちゃんとキャッチボールになっていないと 感じました。 昔、夫と話す時に感じていた違和感。 私がベースボールで 柔らかい曲線を描いたボールを投げると バレーボールを全力で打ち込んだサーブが 向かって来たように感じていた夫との会話。 思いや思考を受け取ったり 預けたり出来ない会話と交流。 それを思い出したのでした。 この子達の思いは どこに行くんだろう? この母親は 自分もガミガミ罵られて育ったので 罵るしか自己表現が出来ないんだろうか? この母親の思いは どこに行ってしまったんだろうか? 迷子になっているのではないだろうか? 長男が次男に向かって 「お前、うるさいぞ」 と言うと、 母親が長男に向かって 「オマエが黙ってろ!!」 と叫ぶのを聞いて、 私は内心 あんたが黙ってろ! と思ったのでした。 私の中に残っている 子供時代の記憶がムクムク起き上がって来て、 一々一々叔母の言動を罵る祖母や イライラを私にぶつけていた母の姿が 隣の4人家族の母親と 重なって見えたのでした。 何がどうなって こんな表現になったのか。 子供を罵る事しか出来ない、 幸せには見えない母親。 今思い出しても悲しくなり、 思い出すと何か出来ないものかと 思ってしまうのでした。 家族の前では平気そうにしていても もしかしたら学校では 同級生や下級生を罵っているかもしれない、 操作しているのかもしれない と考えてしまうのでした。 あんなに一々罵られて 全く平気なはずがないです。 親の歪みは子供に直球で伝わる事は 私が自分の親の事や自分自身の事、 自分の子供たちの事を知っているので ようく解るのです。 今は平気そうな子供達も 大人になった時に 受けた傷は痛みを増して 年々深く歪んで行くと思われ、 私はあの母親も子供達も 何か救う手立てはないものだろうかと 思ったのでした。 自分さえ救えない私だけど 何か出来ないものかと そう思ったのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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