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私は子供のままのところがあって
頭に浮かんだそのまんまを 状況を余り考えないで話してしまい、 ひんしゅくを買う事がある。 1月の始めに義姉と電話で話をしていて 病気について自説を語ってしまった。 義姉は二十代の次女を脳腫瘍で亡くし、 続いて長女も癌で闘病中で芳しくない状態を うっかり脇に置き過ぎて自説を語ってしまった。 私は母の事を色々語ってしまった。 母は自分で選んで認知症になったように思う と語ってしまった。 母はずっと他人の目を気にして生きていたから 難しい事を考えない人間になりたがっているように見えたから そう言ったのだけど、 十年以上 娘さん達の看病をし続けている義姉にとって 自分で選んで病気になるなんて、 義姉の状況に当てはめると きっと聞きたくもない事だったと思われ 以来気まずいのだった。 そして一ヶ月半経った今日、 それで義姉がどれだけ心を傷付けられたかが 突然胸に迫って来て、 また一層自分を嫌いになりそうなのだった。 はぁ~~。 自説は自説として 時と場合を考えなくちゃいけなにのに 私は何も考えないで そのまんま言ってしまう時があるのだった。 いつまで経っても 心に余裕のある大人にはなれないのだった。 それとも気まずいのは 私が勝手に気にして落ち込んでいるだけなのかな。 他人の事は距離を持って見られるのに、 自分は真ん中に居過ぎて見えていなくて残念だ。 15年くらい前にひどく精神的に参っていた頃、 人に謝ってばかりいた。 何かまずい事が起きると 全部自分のせいだと感じて 恐怖感一杯になって 電話して謝りまくっていた。 今も何か微妙な空気になると 自分が悪いのだと思い込んでしまう。 だから本当に必要な謝罪なのか 罪悪感を刺激された思い込みなのか解らない。 どうしてそんなに罪悪感を感じるのか ずーっと考えていたのだけれど 母は何かまずい事が起きるとみんな私のせいにして 非難したので、 兎に角謝っておく・・・ と言う癖が染み込んでいるのだと思う。 自分の事なんだから もっとしっかり把握すべきだと思うのだが 私の自説は義姉の状況とは別ものなので 私は私の問題に取り向かうだけで良いのか、 義姉に謝った方が良いのか解らない。 私は自説が間違っているとは思っていないのだが 人それぞれ信じるものが違うし、 自分の自説を押し付けてしまう事になるのが・・・。 でも話してみないと 相手が選択する事さえないのだから・・・。 などとぐるぐる思っている。 私の心の中には 何を話しても苦労人の義姉は それなりに受け取ってくれると思っていて 甘えがあったのかもしれないと思う。 辛い思いを抱えている義姉への 思いやりに欠けていたと思う。 抗がん剤治療の度にお孫さんの世話をし 娘さんの病院通いや看病をしている義姉は 親としてひどく辛いと思う。 今度からはその点をいつも考えて 話をしようと思うけど、恐いなぁ。 ピーと話していて思ったのだが、 私が今一番必要なのは「許す」事だ。 私を故意に傷付けた人も 私を故意に利用した人も 無意識に傷付けた人も利用した人も この不公平で落とし穴だらけの社会も 全部許したら、 私は自分も過去も未来許せて 生きているのが楽しくなり、 ピーに対しても無意識のうちに 自分の考え方を押し付けたりしないようになるだろうと そう思う。 それで私は全部を許す事を 最近ずーーっと考えている。 世界を許すと思うと とても気持ちが楽になった。 やはり私に必要な事なのだと思う。 でも義姉に対してのように 時々やらかす失敗では思わず自分を責めてしまう。 世界を許すのは近くなったり 遠くなったりする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 25, 2011 03:10:19 AM
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