神の国を外国から誤解されないようにしなくてはいけない
【神の国を外国から誤解されないようにしなくてはいけない】岩倉神社が岩倉具視が祭られている神社なら、国の謝罪がなくても事実を知らせるために大海勉君には来訪して貰っても構いません。但し、本殿は何処にあるのか?(作出村か?京都御所の中か?)公の没年は明治44年か?それとも不明か?不明なら身を隠していたことになります。墓はあるのか?(神社の造られる原因が解ります)屋敷の跡残されているのか?本殿が発見されたら、屋敷の跡に移転するのか?その他を聞き質しますので予め情報を獲得しておいてもらいたいと思います。従って、岩倉具視の立場は王権復古を果たしたものの天皇を関東に取られたことには違いないのです。宮廷の仲間内(公家⇔西欧風に言えば貴族)では肩身の狭い事だったと想像します。岩倉具視は皇族ではありませんので、靖国神社とは関係ありません。京都のの屋敷跡に本殿が移されても靖国神社とは対立しません。又、囃子が勇壮ですから(珍しい囃子だから⇔はっぴではなく和服)文化庁は残しておくように取り計らうべきです。囃子は残すものではなく廃れば廃れたままにすることがしきたりかも知れません。(昔はビデオカメラはなかった)残そうと思えば夏休みに高校性が練習すれば残ります。但し、部落の青年会で練習すると云う慣習も残さなくてはいけないなら廃れるままにするしかありません。(高校生は勉学や通学ま都合があり青年会は廃れている)もし、岩倉神社が岩倉具視を祭った神社でなければ文化庁は、そのように郵便文書で通知してもらわなくてはいけません通知がなければ、私は記す資格を主張します。通知がなければ事実(岩倉神社が岩倉具視を祭った神社でなくても)何を書いても咎めることはできません。これから罰が当るかも知れませんが、未だ、そのような気配はありません。日本の宗教地盤は仏教の他に神代(学問的には文字が無かった縄文時代、弥生時代)と云われる時代に神社が多数あります。岩倉神社が岩倉具視を祭った神社なら、最も新しい時代の神社と言えます。私も一時代前の日本人が日本は神の国と風潮する意味が解かりました。しかし、軍国主義とは違います。諸々神藻軍国主義に利用された時代があったことを日本人は忘れてはいけません。外国に神の国の意味を誤解されます。軍国主義とは、国=軍事力です。私は、軍事力は必要と認めていますが、国が軍に支配されることは認めていません。軍国主義は認めてはいません。もし、私が岩倉具視の生まれ替わりなら、中曽根康弘氏は、如何に大和魂を謳っても逆賊になると言いたいのです。参考として私も岩倉具視は生くらではないにしても、たいした人物ではないと思っていました。日本国民にお伝えします⇒中曽根康弘氏が、「愛国心」を信念とした祠を残していたら早めに撤去するようお願いします。(お勧めするではありません)私は、信念はありませんが、宗教を残しますので負けることはありません。「負けません」の表現は軍事力が存在する以上止むを得ません。(多分岩倉具視の信念は風見鳥もしくは、ご都合主義の否定と思う)