|
カテゴリ:ニコライ、『奥の細道』をゆく
こんにちわ~ お久しぶりです~
ボヤボヤしてたら、もう12月 ニコライは、 芭蕉先生の『おくのほそ道』を何か面白く書かねばならない というプレッシャーに・・・しばらく寝込んでいました。 いやいや、嘘です、元気です! はい、大分昔の話になりましたが、 ウニやんと行った、富山の旅。 「おくのほそ道は、どんくらい細いのか?」 という、例のヤツ続きです。 越中路は、真っ直ぐにして、左は水田、右は海・・・ べべん 海浜をさまよふこと数里・・・ そして、至るは倶利伽羅峠、也。 ベベベベベべん、よ~~ぉっ ■倶利伽羅峠 倶利伽羅峠というのは、富山と石川の県境にある。 今は、散策路も整備されて、富山県が観光地としてプッシュしている様子。 なぜならば・・・ここは、木曾義仲の奇策の地 べべん ■倶利伽羅古戦場:源平盛衰記、火牛の計 こんなモニュメントがあると、一緒に写真撮りたくなるね 地獄谷を、松明つけた牛の群れが堰を切って傾れ込む ベベベベベベベベベベベベベベベベベベベ・・・ この時、(九条兼実の『玉葉』によれば) 加賀に布陣する平家軍は4万余騎(平家物語では7万騎)、 かたや木曽義仲軍は、たったの5千余騎and牛。 ん~、牛はどこから調達したか?(ー’`ー;) とも思ふが・・・ 火牛の計の真偽はともかく、 来年は、大河ドラマとのタイアップで、 ブレイクすること間違いなしの倶利伽羅峠、也。 べべん、べん トイレのマークが、義仲と巴御前。 ウニやんは、 「巴御前は、勇ましいカッコいい人には違いないんだけど、 ホントは、義仲との年齢差はスゴイあって、オバハンだったらしいよ」 と、夢の無さ過ぎることを言ふ・・・ で、木曽義仲にすっかりお株を奪われた芭蕉先生は?といえば・・・ 曽良の日記の方によると、ちょっと手前の高岡あたりでは、 「翁、気色すぐれず。暑さ極めて甚だし・・・」 だったろうが、手元の資料によると、先生は義仲贔屓だったので、 おそらくは、倶利伽羅峠に登り、 ちぃとはテンション上がったんじゃなかろうか? 義仲や 寝覚めの山か 月かなし (by 芭蕉先生) 倶利伽羅峠の道沿いには、 他にも芭蕉先生の句碑がある。 金沢の章に入ってる一句である。 あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風 やっぱ、秋なのに暑かったんだねぇ~ (富山城) さてはかくなる、ニコライの、 この『おくのほそ道』を訪ねし越中の旅は、 これにて、オシマイにて候。 べべん、べん お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ニコライ、『奥の細道』をゆく] カテゴリの最新記事
|