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テーマ:ココロ(1186)
カテゴリ:ココロのこと
最近「新約聖書」を読んでいます。 最初から。
ただいま「ルカによる福音書」。 中学、高校をミッションスクールで過ごしたので、聖書を持っています。 くどいようですが、浄土真宗の門徒です。私。 心の拠りどころは「阿弥陀如来」です。 最近、旧約聖書も読みたいな・・・と思うのですが、旧約も載っている「聖書」は実家にあるので手元にありません。 というか、最近の聖書を読んで見たいので新たに購入しようかと考えています。 中学、高校と6年間、聖書に触らなかった日はほとんどありませんでした。 けど、あの頃は聖句の意味も上っ面だけでしか理解できていませんでした。 今は読むと心に沁みてきます。 まだ福音書なんだけど。 でも、読んでいると中学、高校の頃に覚えたさまざまな聖句を思い出し、20年近く前にマーカーを弾いた部分のページを探したりして・・・寄り道しながら聖書を読んでいます。 殊に今は再発しまくりの網膜剥離と対座しているからか「キリストの受難」の部分を読んで心を打たれています。 十字架につけられる前に「そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。」(マタイ伝26章39) たとえ、復活を約束されていても、やはり怖いし不安だと思います。 私も「アトピー」「注意欠陥多動性障害(AD/HD)「白内障」「網膜剥離」・・・これらの病のほか、日常生活での悩みなどに相対したとき「こんな目に遭いたくないわ~」と思いますから。 「南無阿弥陀仏」の六字名号を唱えて、仏様に「何とかしてくださ~い」みたいなことを思ってしまいます!! でもね・・・そう思った次の瞬間にはこう思います。 「阿弥陀如来さま、南無観世音菩薩、私とともに在って、この苦難を乗り越える力をください!」って。 そう思うと・・・今なら「失明」に対する不安が少しずつ落ち着きます。 嘆き悲しむことも、心の安定に必要だけど、御仏の存在を感じて先をすっくと見つめるほうが気持ちが清々しくなるし。 佛教だけでなく、キリスト教とも出会えていたことに感謝しています。 自分の中を見つめるために、必要なコトだから・・・ 聖書を読み終えたら、今度は「般若経」と「無量寿経」の勉強をしたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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