軽井沢の夏
生駒聖書学院2年生になったとき、今年は学院に滞在許可しないから、自分でどうするかを決めなさいと宣言された。1年の時は,草刈りと天幕伝道手伝いだけの2ヶ月間。種子島で伝道をと思い、母教会へ依頼したが,ペンテコステはとやんわり断られた。家に帰ってもすることもなく,洗礼を授けてくれた牧師が,対馬でヨット伝道を展開していた。百万人の福音で御紹介されているので、手紙を書いた。なしのつぶてだった。何と40年後にその著名な先生からの手紙が来た。対馬伝道の後、東京で教会をし、その教会を八王子市に大教会を建設。一度だけ八王子市の教会を訪問し,ご子息の牧師とお交わりの時。夏期伝道期間が近づき、途方に暮れてしまった。祈るしかない切羽詰まって祈った。何と軽井沢から,夏来てくれないかとの招き。軽井沢の夏は涼しいから,布団を持参せよとの事。布団も毛布もない,そのままで出かけ向こうで貸してもらった。中軽井沢のキャンプ場で、牧師と一緒にキャンプ場の裏方です。主な仕事は,料理人だった牧師の下で、ジャガイモの皮むきと玉ネギ刻み。夜はキャンプ場の聖会やキャンプファイヤーに集い、多くの出会いが与えられ,今でもアッセンブリー牧師との交流がある。朝早く起きて,冑山まで登り祈ったり、参加者を案内し浅間山を二回の登山した。まあ、参加者の方に山歩きを教えられながらの登山だった。生涯の中で,一番優雅だったと思う軽井沢の40日間。村田繁人牧師は93歳で天に帰る日まで、毎月ラジオ放送献金を,長野県から送ってくれた。今日は午前9時から,通信科生が来訪し,整体治療をしてくれる。痛いかもしれないが,沖縄で整体の訓練をしたので,歩き憎さや痛みを取ってくれるという。お盆休みで家にいるから行ってあげます。との申し出にありがとうと感謝して整体を受ける。9時までの時間、少しだけ歩いて来訪を待つ。昼はレストランへご夫妻を招待ランチです。