テーマ:囲碁全般(743)
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先日の記念対局を振り返る記事で、 一度も攻めに回れなかったけど、6目残っていたということが、 とても不思議だなと思った、と書いた。 これに近いことを、武宮先生の口から聞いたことがあり、 その記憶が、今回の記念対局と結びついたと思う。 たしか武宮先生が、NHK杯の解説をしていて、 その一局を振り返ってのコメントを振られたときだと思う。 >「黒がずーっと攻め続けていたんだけど、 終わってみたら、白に残ってるんだよね・・・ 白はね、ただ、正しい形に応じていただけだったんだけどね・・・ だからね、碁は、不思議なゲームっていうか、そう思うんですよ。」 別の場で、武宮先生はこんな表現をしていた。 >「ボクはね、碁は人生に似てるって思ってるんですよ。 人間の場合はね、健康な体であるとか、 友達がたくさんいたりすると、幸せになれるでしょ、 それが碁の場合はね、石の形が正しくて、石が繋がっているっていうことでね、 そうなっていると、最後には勝っているんですよ」 一流棋士とは、不思議の次元がちがうとは思うが、 今回の記念対局もずっと優勢だとは思わなかったけど、 最後には残っていたのが、なんとも不思議だったというわけだ。 武宮先生の言葉の中の、「最後には」というところがミソだと思う。
こうして改めて思い返しているのだが、 碁を打っていて、ときどき不思議に出会う。 しばらくして、その不思議が不思議ではなくなるときがくる。 そうなると、以前とは碁が変わっているのではないか。 ところが、一度は捕まえたと思ったことが、 しばらくして、実は捕まえていなかったんだと気付くこともある。 こうして進んだり戻ったりしながら、自分の碁が育まれていくのかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 12, 2008 12:29:19 PM
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