テーマ:囲碁全般(743)
カテゴリ:囲碁大会
鳩サブレをもぐもぐしながら、敗局を思い出す。 じっくりと息の長い碁にしていた。 弱石はひとつだけで、ひっそりの生きも見えており、 生きる前にシメツケとしてキカシを打った・・・アタリ。 そこで、相手は、私の捨て石を取り上げた。 だが、その捨て石は、まだシメツケ仕事の途上でダメが空いている。 抜き跡に欠陥のある、不思議な形が盤上に残っていた。 数年前、棋士の手合いで、取り上げ忘れすら反則、と明文化された程だから、 取れない石を取り上げた、となれば反則である。 困惑しつつ、3秒ほど相手を観察していたが、 動きがないので、私は次の手を打った。 無論、相手が取れない石を取り上げた瞬間に、反則は成立しているが、 事態が先へと推移したことで、碁会所の風景としてありがちな、 いわゆる、なあなあで後戻りすることの、ハ-ドルが上がっている。 相手は依然として気づかず、さらにその次の手を打った。 それを見て、もはや、相手は言い逃れ不能の状況となった、と確信した。 そのとき、隣の観戦者が、 「いまのところ、アタリじゃなかったんだから、まだ取れないよね。」 (碁会所かよ!) 相手は、「あっ、すいません」、と謝りながら、アゲハマを元の位置に戻した。 (やはり碁会所であったか) あれ、伊角くんのような大人の対応じゃないの? ご丁寧に、そのあと幾度と無く、「すいません」を繰り返していた。 自分の心を鎮めるためなのか、 周囲の空気を刺激しないように祈りながらなのか。 「すいません」を繰り返すたびに、自らの誤りを認めているわけだが。 観戦者の助言によって、自らの反則行為に気づき、 それを謝りながら、何事もなかったように、盤面を手直しした、 というだけのことである。 ここで、開会式の時、運営者によって告げられた、ご丁寧な注意どおりに、 私が時計を止めて審判を呼べば、相手の反則負けになっただろう。 ただ、なにかしら、ためらいがあった。 法律より空気が優先されるこの国のありように、 軽い失望を覚えるようなものか(苦笑)。 私にとって、その地は完全アウエーであり、 相手も、助言者を含めた観戦者も親しげで、仲間のようである。 ここで県外からやってきた私が反則を主張したらどうなるか。 審判長の九段の棋士を呼んでもらうことも、浮かんでいたが、 運営スタッフ全員が、私と顔見知りであり、 私が、年に数回は囲碁大会の運営をしていることも、よく知っている、 という事情が、私を妙に厄介な気分にさせていた。 反則がらみのトラブルは、対局者や関係者だけでなく、 運営スタッフにも、極めて不愉快な苦味を残す。 優勝を争っているト-ナメントだから、 決勝戦も一回戦も重みに違いはない。 大会の種類やレベルによっても重みは違わないだろう。 数年前、世界アマ日本代表決定戦の3回戦で、 元院生の選手が、ハガシをやり、 自分に向かって、「何をやっているんだ」などと、いいながら、 ア-モンド・チョコを食らってふかしこいている様子を 目の当たりにして、私は唖然とした。 それを見ていた元アマ本アマ名優勝者が、顔をしかめていたものの、 椅子にあぐらをかいて打っていた相手が、大目に見ていたことに、 「これが、日本の碁なのね」と苦笑するしかなかった。 正確に言うと、「ひとりの元院生A組の対局態度」である。 「反則を主張してまで勝ちにいくのは、卑しい人」ということは、 勝負の世界では、問題外だが、 本人が、「卑しい人だ」と思う限り、 それは「卑しい」行為なのである。 反則をされた側の選手にとって、 卑しい行為の対極にあるふるまいとは何か? 「盤上の技芸を高めて、勝つだけだ」と、淡々と語るのであろう。 事実、反則を許したこの相手は、 世界アマの日本代表になっているから、 さらに男前なのだが。 さて、私が審判を呼ばなかったことを後悔しているかといえば、 あれで良かった、と思っている。 その思いに、棋力は関係ないのである。 ザル碁であっても、卑しくはなりたくないのである。 ところで、若者の「ら抜き」表現が拡散している。 「食べられる」を、「食べれる」といってしまうわけだ。 要するに、私が言いたいのは、 私が、「ら付け」表現を好むという点である。 私が、「いやしい人」ではない、ということを宣言したがるくらい、 私は、「いやらしい人」なのだ、ということだ。 さきほどより、一升瓶から注いだ 『白壁蔵』を飲みながら、 これを書いているが、別に酔っ払ってはいない。 相変わらず、「凄い」レベルの大会だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[囲碁大会] カテゴリの最新記事
|