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北朝鮮サイドの人のコメントの定番でもある
「将軍様のお力で」という言葉がかなりの頻度で耳にする。 これに対する日本の報道としては、「北朝鮮に洗脳された」といったニュアンスや、 日本人には違和感のあるコメントといったコメントが続くことがよくあったと思う。 この「将軍様のお力で」とか、「将軍様のご配慮で」といった言葉が、 果たして本当に奇妙なのか?と、ふと考えてみたのですが、 案外、それほど変でもない言葉かもしれない? 日本でも考えようによっては大差ないコメントを 日常、よく使っているように思えるのです。 (病気が治ったとき)「皆様のおかげで回復しました」 (選挙に当選したとき)「皆様のおかげで当選しました」 (昇進・昇格したとき)「先生or上司のおかげです」 (スポーツで勝ったとき)「応援してくれたファンの皆さんのおかげです」 本当にその相手の力添えを感謝していることもあるであろうが、 全くそうではない相手に対しても、がんばったのが当の本人だけだったとしても、 周りを含めた感謝の意を表明することは、珍しくないと思う。 アメリカなんかでは、「神のご加護により」なんて言うこともある。 これらに対して変だとか、洗脳されているというかと言えば、ふつう言わない。 反対にこういったコメントが全くない人間に対しては、 「自分だけがんばっているつもりだ」とか、 「感謝の気持ちに欠ける」なんてことを言われることになりかねない。 内容が正しいか、どうか、ではなく、 何かいいことがあった人が、その人が属する集団(国家から家庭ま)で、 感謝の言葉を発することが肝心なんではないか?と思うと、 「将軍様のおかげ」ということを言うことは、別に変なことでもないと思うのです。 「人は、他人からの共感を求めるものである」 「共感すること・されることがパワーである」と最近思う。 あるものに対して、全く物理・科学的にはなんの役に立っていなかったとしても、 「役に立った」と思えること、思ってもらえることが、人間には重要かもしれません。 長年、スポーツ観戦に熱狂する人のことが、さっぱり分かりませんでした。 特に(サッカーではなく)サッカー観戦好きな人に、 「サポーターとして応援するときの一体感が好き!」なんて言われると 「はぁ~」とさえ思ってしまう始末である。 なぜなら、サッカーをしているのも、試合に勝ったのも、選手であって、あなたではないでしょう? 私の考え方には、そんなところがある。 まあ、日々、そういう考え方をしているので、 人に対しての感謝の念やその表現は少ない方であったであろうし、 人から何も役に立っていない自分に対して「おかげさまで」といわれると、 虫酸が走りそうになるので、逃げたりもしました。 が、こういう「おかげさまで」精神を避ける習慣は、人との共感の力が弱くなるものです。 共感の力が弱くなると、人からの評価が下がり、 失礼な!と憤慨したくなるシーンが増えてくるような気がしています。 一方、感謝の気持ちなんてのは、さほどない相手に対して、 相手がそういうことが好きなだしと、 私としてはちょっとやらせ?的に「おかげさまで」を演じてみたところ、 自分の心はちょっとやな人間になってしまったと思ったのに対して、 その相手は、私の力になろうと努力してくれるようになったと思うのです。 私が共感しているという感じが、相手の中での何かのパワーになっているのでしょう。 不思議なものです。 人は、人から共感されているという力を得ると、 何かしてあげたいと思う気持ちがあるのでしょうか? そんなことを考えてみると、「将軍様のおかげで」という言葉も、 さほど変ではないのではないだろうか? などと考えてみるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年09月25日 00時13分29秒
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