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カテゴリ:診察・カウンセリング
感情の起伏が激しい為に、凄く涙脆くなってしまい
一寸した事で苦い涙が溢れてくる。 今日の電話診察で何度嗚咽を漏らしたであろう・・・。 人間なのであるから、『喜怒哀楽』の 感情は当たり前である。しかし、過去にも記述して いるように、お薬によって感情を抑制・鎮静させて いたので本当に戸惑っているのである。 特に『怒り』の感情は 一体どうしたら良いのか解らないのである。 それらについて、先ずは新薬の処方の仕方から 診察は始まった。 取り敢えず今まで3mgの処方から1.5mgに 減らす事で話は落ち着いた。副作用が酷いのは、主治医が この新薬を処方している患者さんの中で私が初めてだと 仰っていた。 そして感情面について。 私の怒る対象は、「私を捌け口として都合良く 利用してきた相手に対してである」 と言われて納得した。しかしその相手は 今目の前にいない。子どもの頃から、大人の都合の良い子 として扱われてきたので、その相手に対して怒るべきなのである。 しかし、いまいち怒りの焦点を絞れないのは、過去からの 『洗脳』である事ははっきりしている。 よく、「もう過去の事なんだから忘れたらどうなの」 という意見を耳にする。しかしこの病気を患っている現在、 その過去の傷こそが、最前線の問題なのである・・・。 こう主治医から聞いて漸く、悩んでいてもいいのだと 確信を持てた。 『昔の苦しみ』は、例えば 日々生活をしていて掃除をしないとゴミが溜まっていく。 病気を患っている人にとって『苦しみ』というゴミを簡単に 片付けられない為に、新しい悩みも苦しみも蓄積され、 常に新しい問題となるのである。 そして今日は病院へ出向く事が出来なかったので、 母に新薬の感想を書いたノートを主治医に渡して欲しいと 告げておいた。それには様々な想いを、そのままぶつけていた。 しかし、主治医に注意された事がある。 私が、自分の事を 『情けない』 『役立たずの穀潰し』 『最低の人間、死んでしまえ』 『ろくでなし』 等と書いている部分である。 日本では統計を取っていないので分からないが、 アメリカでは700万人の摂食障害者がいるという。 私のこの摂食障害に対する思いは、総じて その700万人にも向けられるであろう言葉である。 勿論私にはそんな想い等無い。全て自分に向けた想い なのであるから。しかし、この様な思いを抱く事は アメリカの、700万人いる摂食障害者に向けられる 言葉である事も忘れてはならないと仰った。 全くその通りであると、自分の愚かさを呪った。 『情けないのではない!哀しく、悔しいのである!』 そう思い知った。自らを貶めても何も生まれない。 唯、私は生活排水に汚染された川・下水道の 役割を子どもの頃から請け負っていた。 好き勝手な言葉をぶつけられて、大人の鬱憤の捌け口と なったり、ゴミ捨て場となったりした。 母が父とその親族に追い詰められ、包丁で手首をざくりと 切り、その血溜まりの中で涙を流していた、 その状況を受け止めたのも私であった。 私の川は汚染され、下水道の代わりと なっていった。 今現在、『哀しい・悔しい・辛い・苦しい』 と言う感情は、あって然るべきものなのであると悟った。 話は変わり、摂食障害について理解を示してくれない 家族を持つ患者さんも沢山いる。こんな苦しい病気に 無反応でいられたり、逆に責められたりする事は どんなに苦しい事か、身を持って知っている。 私の家族も以前は私の病気について、全く理解を 示さなかった。寧ろ厄介者だと、邪魔者だと、迷惑者だと いう扱いを受けた。病気の事を知ってほしくて、 「本屋に私の病気の本が売ってるから、 それを買ってくるから読んで欲しい」 と願った事もあった。しかし母、妹からは、 「そんな本を読む暇があると思うんか。ふざけるな!」 と、罵倒の言葉が返ってきた。あの時の失望は 今でも忘れられない。 しかし今、母は私の主治医の元で病気に対して 理解を深めようとしてくれていて、温かく見守っていて くれている。当時の事も主治医に話していたので、 「まさかここまで変化があるとは思わなかった、 正直見誤っていた。申し訳ないことだ」 と仰っていた。それ程、母の変化は目を瞠るもの だったのである。 大切なのは、自分を貶めるのではなく、 『悔しい。哀しい。心細い。寂しい。』と言った 感情を大切にする事であると、胸に刻み込んだ。 電話をしながら溢れたビターカカオの様な苦い涙も、 今日の夕焼けに放り投げた。昇華されるであろう。 お薬は微調整があり、副作用も今日は少なかった。 温かい橙色の景色に包まれて、私はスーパーへとぼとぼと 歩いた。夕刻の空気は昼と全く香りが違う。 思いっ切りその心地良い空気を吸い込んで、 汚れていく私の中の『川』を少しずつ綺麗にしたいと 感じた。その為にはこの偉大なる自然が 最も必要である。 行きつけの酒屋さんでは焼酎が5%引きであったので 黒糖焼酎を購入した。これはそのままの味を嗜むのも良いし 黒糖の欠片を入れることで味わい深くもなる。 主治医との診察で色々な事を想い、そして反省し、 涙を流して昇華させた苦しみもあった。 温かい色をした夕焼けで、私の凍えた心が少しでも 溶け始めたら素晴らしいであろう。 偶に後退する事はあっても、また前を向く努力は 惜しまないように過ごしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.08.08 22:25:25
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