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カテゴリ:抑うつ感
此処の所晴天続きで、非常に暑い日々を送っている。
今日の最高気温は35.4度であった。 そんな暑苦しい中、物凄い騒音が始まった。 下水道工事でコンクリートを掘り返した為、 それを舗装する工事の騒音であった。 昨日から処方薬が少し調整された為、眠れるかどうか 不安であった。過食嘔吐で疲れる為 寝つきは良いものの、眠りが浅く何度も断眠した。 その上に物凄い騒音である。そしてサボって いる為か、現場の男性たちの大きな声がとても 五月蝿かったのである。会話の内容まで聞き取れそうな程 五月蝿い。断眠が続き、とうとう中途覚醒してしまった。 朝7時半過ぎに、処方された通りのお薬を服用して 眠ったのに、14時には目覚めてしまった。 どれだけのお薬を服用したら眠れるか、自分の身体なので 解っているつもりである。しかし、眠る為に主治医へ お願いしたお薬は、少し減らされての処方となってしまった のである。私は、 1.ベゲタミンA(眠りを持続させる為) 2.テシプールは2錠に(中途覚醒防止の為) 3.デパスは2錠に(1錠では効き難い為) 4.頓服にコントミン12.5mgを(中途覚醒が酷い為) をお願いした。しかし、聞き入れられたのは2.と3.であり、 1.はベゲタミンAでは無くBになり、 4.は論外であった。触れられもしなかった。 そして処方された通りに服用して眠ったのであるが、 騒音は計算外であった・・・。 しぶしぶ起きてシャワーを浴びた。 今日は水圧も丁度良く、心地良く身体中をキレイに洗えた。 とてもすっきりしたのであるが、次から次へと襲ってくる 騒音には本当に辟易した。 しかし今日1日で終わることであったので 何とか辛抱したが、ストレスが溜まって心身の具合がとても 悪くなってしまった。 新薬は今までの半分の量になったので、 副作用は殆ど出なくなった。感情が異常に昂る事も 無くなり、騒音問題以外では比較的落ち着いていた。 ゆったりとミルクティーを飲みながら一服して、 背凭れにもたれてぼんやりとしていた。 そして長崎原爆の日である今日、時間こそ遅くなってしまった ものの、黙祷を捧げた。 1945年の8月9日、11時2分。『Fat Man』と いうコード名の原子爆弾が投下され、長崎市の人口 約24万人の内、約14万8千人が死傷した。 それを想い、溢れる涙をそのままに手を胸の前で合わせ 黙祷したのである。原子爆弾の被害と言うものは途轍もなく 恐ろしいものである。尋常ではない。 被爆した人々の人生を、根こそぎ奪い取ったので あるから・・・。のうのうと生きている事に対して 自責の念に駆られる。私は唯目を閉じ被爆者である 死傷者に思いを募らせる事しか出来ない。 毎年、広島原爆の日・長崎原爆の日そして終戦記念日には 黙祷を捧げていたが、涙が出る事はなかった。 でも今年は新薬の影響もあるのかもしれないが、 ぼろぼろと涙が零れるのである。 私達の世代が出来る事は、二度とこんな悲劇を繰り返さない 事である。しかし世界では今、この時もに空爆を受け 何の罪もない子どもまでもが、命を落としている。 人間は、過ちを反省する事なく、延々と繰り返す。 国家の戦争によって、罪のない命まで奪って当たり前の様に している神経が信じられない。とても哀しい。 そして逢う魔が時、一瞬一瞬夕刻の暗さを増す中で 私は悲嘆に暮れた。非力な自分が余りにも際立って 感じられたからである。 大きな災いの起こり易い、夕方の薄暗い頃。 私は生きていく道が、歩んでいるこの道が 果たして正しいものなのか、不安で大きな苦しみを覚えた。 時間が止まって待ってくれないように 否も応もなく、進まざるを得ない道に佇んでいる自分を 感じる。それが例え棘の道でも、ガラスの破片で溢れた道でも 私は素足で傷付きながら、歩まねばならない。 この傷は、きっと『温もり』によって 癒されるであろうと感じている。 罠の無い道はない。それに捕らわれないように、 私はしっかりとした気持ちを持って、 確かに歩みを進めねばならないのであろう・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.08.09 22:04:37
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