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凍えたココロ

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2006.08.20
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久し振りの外出をした事、テンションを上げた疲れが

出てしまった事で、18時過ぎまでずっと夢の中にいた。

夢を見る事・その内容には『意味がある』ので

主治医に夢分析していただく為にメモ帳に記す。

しかし、暗い夢ばかりでしんどくて、疲れも酷かったので

敢えて忘れる事にした。







二日酔いは全く無かった。

結構沢山カクテルを嗜んだのであるが、血筋であろう・・・

祖父と母はとてもお酒に強いと言う事実がある。







閑話休題。

土曜日の電話診察で、一番印象に残った夢を伝えた。

それは、



“観月あ○さがドラマの撮影中、

とある顔の可愛い男性タレントに、後ろから強烈な

飛び蹴りを喰らった。それは致命傷になり時々彼女と自分が

融合しながら、ぶっ倒れた。そして死に至る瞬間に

私と彼女が分離して、彼女は死んでしまった。

彼女が死んでしまった世の中など、もう

生きていても仕様が無いと感じ、自らも殺人鬼に追われ

戸惑う”




というものであった。

問題なのは、『人を殺すと言う罪を犯した男』である。

この世の中でも『罪を犯す』という事は、あらゆる

バックグラウンドがある。殺人を犯してしまった犯人にも

哀しい過去があったのかも知れない。それを受け止められるか

どうかは人類史的な問題であろう。







電話診察ではいつも必ず『千と千●の神隠し』

色々な事柄になぞらえて出てくる。

今回、夢の中で彼女を殺した可愛い顔をした男性は

“ハク”である。

物語の中には余り出てこないが、油屋の世界に進入して

来る神以外の者たちは豚にされたり、殺されたりと

排除されていた。油屋を取り締まるのがハクの仕事で

あり、湯婆の手下となって罪を犯している。

何か・誰かの『言いなり』

なっていると言う状態はまずい事である。







上記の事は、母に当て嵌められる。

酷い体罰を私に加えた母。それは“母の男性性”が

そうさせたのである。

何度もこのブログで綴っているように、

心の病を患っている人にとって、『過去の傷』

こそが大きな、最前線の問題なのである。

『過去の事は過去の事』と傷を片付けられる訳等無い。

主治医は仰った。



「恨むべきものは、酷い父親の言いなりになった

お母さんだよ。今はまだ、可哀想だったお母さん、

辛かったであろうお母さんの事は分からないままで良い。

今あなたの心で感じている、過去の苦い・痛い・辛い

ものが全てなんだから。」




と・・・。

今の母はとても温かく優しい。だから過去の鬼の様な

母とは、全く一致させる事ができない。主治医は、

酷い父親の言いなりとなり、体罰を加えてきた母を

恨んでも良いと仰った。けれども今の母を思うと

それが出来ない。

そして、

私は生まれてきた事自体が間違いなのである。

母は父との結婚を望んでいなかった。周りの人々に反抗して

家出をしてまで拒否したのに、結局言いなりとなって

結婚してしまった。そして自分の味方をつける為に、

愛してもいない父との子どもを作ってしまった。即ちその

愛してもいない父との子どもが、私の事なのである。

だから生まれた事自体間違いである。







そして、そこで出てくるのが“顔なし”である。

“顔なし”は、誰にも気付かれず、寂しい・哀しい思いを

抱いていた。そして油屋の前で誰かに気付かれる事を待っていた。

寂しく哀しい中じっと待っていた。

この『黙って耐えていた顔なし』は尊敬すべきである。

勿論千尋が欲しい為に、油屋の中で暴れまわったのは

まずい事である。

どうして『寂しく哀しい思いを抱いてじっと耐えて待っていた

顔なし』が尊敬できるかが疑問であった。

土曜日、何となく分かったのは、“顔なし”と同じ気持ちを

抱えてじっと耐えて待っているのは、



“3歳の私”



なのである。神経症を発症した頃の私・・・。体罰を受け始める

頃の私。何も言えず、じっと耐えていた自分。

その“3歳の私”が未だ心の中に存在していて、

痛みや哀しみ苦しみに耐えていると思うと、

「その子どもを尊敬すべきではないか」と主治医は仰るのである。

そして顔なしは厄介な事を起こしたものの、罪は犯していない。

“ハク”や“昔の母”が犯した罪は大きい。

未だ私の心に傷が残っていて、それが最前線の問題と

なっているように。







哀しみ・寂しさを堪えじっと耐えて待つ事は

尊敬すべき事である。これを解決せんとして、色々行動を

起こしてしまうと、困った事になるのであるから・・・。

だから最前線の悩み・苦しみ・問題を抱えた自分を

大切にせねばならない。耐える事も大切である。

だから病症が出てしまう自分を無闇に責めず、

抱いている感情を大事にするべきである。







病症が出ている時とは即ち苦しい状態を体現している事である。

そんな自分を責めてしまうと、余計に悲惨で虚しい事態に

なるであろう。



病気と闘うのではない。



自分の心の中にある問題と向き合う事によって、

病症の激しさが緩和されていくであろう。

兎に角、自分を責め過ぎず温かく包み込む事が

今目下の目標であろうと感じている。





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Last updated  2006.08.20 21:42:18
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