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カテゴリ:平穏
目が覚めると、母の姿があった。
昼間のお仕事をお休みして、家に居てくれたのである。 これは主治医の 「少しの間だけ娘さんの傍に居てあげて下さい」 との言葉があった為であるが、何だか嬉しかった。 母とは生活のリズムが違うので、 いつもならば目が覚めても1人であるし、 最近は夜、少し会話をするだけになってしまっていた。 なのでこの『見守られる温かさ』が心地良かった。 そして母の身体も休まった事であろうと感じる。 月曜日のお仕事が、一番ハードだからである。 朝方服用したお薬も覿面に効いて、ぐっすり眠れたので 母とお喋りを楽しんでいると、心が和んでいるのを 感じられた。 本当に、本当に嬉しかった。 けれども、私の周りには『虚無』が蔓延っていて 何をするのも怠い。 必死の思いでシャワーを浴びて、身体が すっきりした所で一息つく。 アイスミルクティーを飲みながら、暫しぼんやりとした。 今日は残暑が厳しかったのであろう。 夕方吹く風も何だか湿り気を含んだ、ぬるいものであった。 しかし空は秋そのもので、綺麗であった。 徐々に陽が暮れるのが早くなり、陽が昇るのは 遅くなっている。確実に秋が近付いている証拠である。 何だか哀愁の念が漂う。しかしその雰囲気は嫌いでない。 道端に、濃い赤のコスモスが咲いているのを見かけた。 思わず携帯カメラで撮った。ほんの2~3輪であったが、 可愛らしいこの花はやがて広い範囲で咲くようになるであろう。 小さい頃、祖父の家の近くには大きな土手があった。 そこは秋になれば正しくコスモス畑となった。 向日葵のような大きく力強い花よりも、 こうして可憐に花開くコスモスの方が私は好きである。 そして秋真っ只中には、金木犀の香りが濃く周辺に漂う。 秋の澄んだ空気と共に深呼吸すると、なんとも心地良い。 だから私は秋や晩秋、寒い冬がすきなのかもしれない。 摂食障害を患ってからの方が、より自然を身近に 感じられるようになった。 それはまるで、自然の力に救いを求めるような、 癒しを求めるような勢いである。 自然の瑣末な変化でさえ嬉しくなるのである。 けれどもこの病は、 辛く・苦しく・哀しく・心細く・虚しいものである。 何かを1口、食べたら最後。過食に繋がり嘔吐するまで止まらない。 空々しくも虚無的な時間を過ごす羽目に陥る。 それが決まりきった時間に、決まりきった回数、 毎日行なわれるので、いい加減本当にうんざりである。 だけど私は、自分の奥底に眠る『可能性』を信じたい。 今はあらゆる病気の症状で、希望さえ見出せない状態であるが 治療を続け、『自分』と言うものを確立させられたらと思う。 その為に、定期的なカウンセラーとの対話、主治医との診察が 必要である。しかし、知らず知らずの内に疲れやストレスが 溜まっていて、先日の様な発熱に繋がるのであろう。 苦しみは溜まりいく。それを自然に流す『アース』が 今の私にとって必要なのであろう。 秋が深まれば、母と共に紅葉でも見に行きたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.09.04 20:58:36
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