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カテゴリ:抑うつ感
夕方、シャワーを浴びて身も心もさっぱり
させた後、外に出てみた。 とても心地良い風が吹いていて、 それはもう秋のものであった。 その風に乗って何だか馨しい香りも 感じられた。 やはり私は秋が好きである。 そしてスーパーへ行く道々、 大きく深呼吸して存分に秋風を 身体に染み渡らせた。 秋の空気に溶けてしまいと想う程 快い風が、優しく頬を撫でる。 どこまでも高い空は、静かに私を 見下ろしていた。 新薬を中止してから、 『過食衝動』が弱まったように感じる。 然して「食べたい」とか「食べよう」とか思わない。 心が非常に鎮静していて、ゆったりと物事を 考える事が出来る。 けれども私の病症は、強迫性障害も孕んでいるので、 決まった時間になると 『沢山食べて吐かなければ』 と言う思いで頭が一杯になる。 れっきとした病気の症状である。 それを無理矢理抑え込んでも、 後で暴発する心が待ち受けているだけである。 何とも苦しい病であろうか・・・。 摂食障害の症状は、一般の普通の人そして 罹患した事の無い人には分からない葛藤がある。 『こんな事をしていてはいけない』 『いい加減抜け出さなければ』 『自分で自分の首を締め上げるだけだ』 『こんな苦しい事、二度としたくない』 といつも悩んでいる。苦しんでいる。 しかし世間の風当たりが強い病であるとされる。 本人が物凄く苦しんでいる事を差し置いてまで・・・。 その点、摂食障害について勉強している 主治医やカウンセラーの前に出ると、 落ち着いて自分の状況を話せる。 『理解しようとして下さっている』 と言う思いがひしひしと感じられるからである。 アメリカの統計では約700万人患っているという 摂食障害。日本の罹患者も日に日に増加してきている。 しかしそれに反して、何かと冷ややかな目や 軽蔑の眼差しで見られる病気である。 病症が出るということは、 風邪を引き熱が出たり、咳が出たりすることと似ている。 それが体の症状でなく、 心の症状となっているだけでなのである。 健康な人、そして病人を慮れない人、痛みの分からない人は 平気で病人が傷付く言葉を吐ける。 その言葉は鋭利な刃物であり、弱っている心を 抉り抜くのに充分であろう。 斯く言う私も、この病気を罹患した事で 家族から辛辣な言葉を投げかけられた。 しかし、今は母が理解しようとしてくれている。 うつや心身症による発熱等の症状を呈した時は、 静かに背中を撫でてくれたり、 温かい言葉をかけてくれたりする。 それだけで随分落ち着く。 涙が出るくらい、母の手は温かいのである。 過去に私を打擲した同じ手とは思えない程、 優しくぬくい手なのである。 職業柄、腕に火傷を負ってしまったり、 手荒れが酷くなってしまったりしているが、 私にとっては凄く凄く大切な母の手である。 ある方からのアドバイス通り、良質なハンドクリームを プレゼントして、私がマッサージしたいと思う。 手と手が触れ合う事等日常には無いので、 感謝の意を表せる丁度良い機会であろう。 重い病を抱えながら生きるのは、非常に苦しい。 今まで独りで悩み苦しんできた。その為に、差し伸べてくれている 手さえ気付かなかった。 けれども最近になって、やっと周りを少しずつ 見渡せるようになった。そこには優しい手が 差し伸べられていた。 『甘える』という事は人間関係を形成するにあたって とても大切なものである。 『依存』と『甘え』の区別をきちんと頭で整理しながら 差し伸べられた手を柔らかく握り返したい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.09.11 21:04:54
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