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カテゴリ:診察・カウンセリング
朝夕、本当に涼しい風が吹く。
半袖では寒いので、もう長袖でいる。 この時期の風はとても優しく、 ささくれ立った心も滑らかにしてくれる。 朝の澄んだ空気はとても心地良い。 夕方は電話診察がある日なので、 1種類強い薬を減らして眠りに就いた。 すると、4時間弱しか眠れなかった。 午前10時に起きるなんて久し振りである。 こんなに時間を持て余すと、ろくな事を考えない。 案の定、私は日中に過食嘔吐するという 禁忌を犯してしまった。 唯々苦しかった。酷く後悔した。 お腹も下ってしまい、調子は最悪である。 そして電話診察・・・。 主治医には、 「過食嘔吐をコントロールしようなんて考えたら駄目」 と注意を受けた。 主治医の見解は、何事も自分で自分を 『コントロールする事』 はこころを大事にしていない と言う事に繋がる。 でも、過食嘔吐は凄く苦しい。 分かっているのにやってしまう。 「助けて・・・」 と思うが、誰に何をして欲しいかさえ分からない。 そして母も主治医も、その病症に対して 如何したらいいのか分からない状態である。 しかし、この関係こそ大切なのである。 つまり、 『一緒に困り合う関係』こそが 『甘え・甘えられる理想的な関係』 なのである。 共に考え合って意見を出し合って 困りながらも問題について考える事。 共同作業。これがあるからこそ、 全き信頼を置いて主治医と対話できるのであろう。 だから、多くの患者が困るのは、 『○●法で治る』 『1日3食きちんと食べていれば治る』 『この薬を飲んでいれば良い』 『意志の問題だ』 等の突き放されたサゼスチョンなのである。 これでは医者側は突き放した形になり、 そのサゼスチョン通りに出来ない患者だけが 1人困ってしまうことになる。 それでは治療も何も無い。 どうしても、過食と嘔吐だけを『虚無だ』と 思ってしまうが、 『自分をコントロールしようとしている自分』 こそ『虚無』なのである。 しかし、“困り合う関係”は虚無ではない。 どうしても虚無に陥りがちな昨今であるが、 こうしてこんな私の病気について、一緒に困り合って下さる 主治医がいたり、如何したらいいのか分からないと 困り合う母と私がいる事は、決して虚無ではないのである。 過食と嘔吐は勿論一番に心を占めている困った問題である。 それをどうしたら良いのかなんて分からないし、 コントロールしようとしても出来る筈も無く、 余計に虚無に陥る。 けれども、こうした“困り合う関係”つまり 良い意味で“甘え合う関係”が出来上がる事から 目を背けてはならない。そうする事で治癒への道を 歩けているのかも知れないからである。 幾ら遠回りしても良い。辛い事も苦しい事も沢山あるが、 身近にこうして見守ってくれる人々がいると感じるだけで 随分救われる。 昼間の過食嘔吐は計算外であったので、 今は全く食欲が無い。その自然な心に これから如何過ごすかを任せたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.09.22 21:00:57
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