|
カテゴリ:診察・カウンセリング
電話診察が終わり、外に出たらもう
夕闇が広がっていた。 夜の空気は朝のものとは違う。 この世の疲れが沈んできているような 疲労を含んだ色をしている。 それを秋の涼風が中和している 様である。 この病気を患っていると、いつも 『哀しい・苦しい・辛い・虚しい』という 想いが其処彼処で破裂していて、 過食嘔吐という病症で目の当たりにする。 しかし上記に記した想いは、誰にでもある。 社会で生きている人達は、それを見ないように しているのである。 『もっと自分を見てほしい』 『苦しんでいる私を、少しだけで良いから労ってほしい』 『この辛い哀しみ・苦しみ・虚無を分かってほしい』 と言う想いが、私の中にあるのは否めない。 否、小さい頃からあったと言う方が正しいであろう。 勿論どれも不可能な事である事も分かっている。 小学6年生の頃、両親の毎日に渡る大喧嘩を 目の当たりにしてストレス性胃炎を患い、 朝から痛みにのた打ち回る事があった。 しかし、父はそんな私を見て鼻で笑ったし、 母は早く学校へ行く用意をするよう促した。 そしてこの病気になった当初も、 食べ過ぎて吐く私を異様なものでも 見るみたいな目で見られたし、 きつく叱られ食べ物を隠されたり 見張られたりした。 そうすることでしか自分を表せなかった けれども、心の奥底では、 『哀しい・苦しい・辛い・虚しい』という 想いが破裂していたのである。 そして首の皮一枚で生き延びてきたのである。 ほんの僅かな可能性にかけて。 『心細さ・哀しさ・辛さ・苦しさ・虚しさ』は 誰の心にもある。 それを受け止めた上で昇華させられている 健康的な人もいれば、 逸脱した行為によって 見ないようにしている人もいる。 見ないようにしている人は、 それに気付いた時如何したらいいのか 分からなくなるからであろう・・・。 私が思うに、これは『あって然るべきもの』ではなかろうか。 だから柔軟な心でそれを見つめ 虚無に陥ろうとも自棄を起こさないように せねばならない。 そして私の問題である過食嘔吐以外で それらをゆっくり見据えて見つめていくのが とても大切な事なのであろう。 誰もが自らの抱える心細さなどの弱さをわざわざ 見たいと言う訳ではないであろう。 けれどもそれを見ないではいられない人、見ずに済む人、 見ないようにしている人とに別れてくると思う。 しかし、この『心細さ・哀しさ・苦しさ・虚しさ』を 自分から排除すべきではない。 己で労り、慰め、温かく包み込む事が大切なのである。 その為には、自分が瑞々しくあらねばならない。 そして上記の想いと共存する現実を受け止めるべきである。 排除してしまうと、余計に虚しくなってしまうであろう。 だから摂食障害の病症も『過食嘔吐』を目の敵にして 排除しようとするのではなく、 どういう意味があるのかを汲まねばならない。 全部一度には出来る事ではないのであるから、 沢山ある時間の中、そういった自分とゆっくり 向き合えればと感じる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.09.29 20:59:57
[診察・カウンセリング] カテゴリの最新記事
|