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凍えたココロ

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2006.10.03
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心に余裕が無い・・・。

そんな時は凄く荒んだ気持ちになる。

疲れてしまって、もう何もかも

放棄してしまいたいと

弱気になる。

そんな時は季節感も何もなく、

ただ呆然と物憂い心に振り回される。







主治医にも、電話診察で



『もう何もかも疲れたから死んでしまいたい』



とばかり訴えていたような気がする。

けれど主治医は慣れたもので、

スッと話題を掏り替える。

そしてその話について考えを深める内に、

死にたい気持ちを心の奥底に仕舞う事が出来る。







一番心に残った言葉は、



「過食嘔吐と言う症状を否定したり無視したり

しようとするから、それが“敵”だと見做してしまう」




と言うものであった。







私は、今まで過食嘔吐を敵視してきた。

こんなにも苦しいもの、辛いもの、痛いものはない。

しかし、これは自分の中にある

『哀しさ、寂しさ、虚しさ、心細さ』

追い込んでしまったから生まれる病症なのである。

つまり、上記の想いを蔑ろにしているのである。







タイトルにあるように、子どもの頃

躾と言う名目で虐待されてきた傷は癒えていない。

寧ろまだ膿んでいるくらいである。







例えば、ストレス性胃炎で痛みにのた打ち回って

いた時、父からは嘲笑を、母からは罵声を、

担任教師からは罵りの言葉をかけられた。

肉体的な虐待ではないが、その頃心が弱っていた

私は精神的に凄く傷付いた。

誰1人心配などしてくれないし、寧ろ罵られるのが

オチであった。

その頃の凄まじい程苛酷な時間と傷を

模写したものが、私にとっての摂食障害の病症である。

凄まじい程の哀しみ、苦しさを

私は訴える事は出来ず、大人の力に因って

黙らされたのである。

そして己も心の叫びを黙らせた。







その他にも様々な心の傷が深く刻まれ、

未だに癒えていない。

その傷を癒す為には、



『あの時苦しかった』



という認識から捉えるべきなのであろう。







皮膚に負った酷い傷は、徐々に分厚くなっていく表層の

下に膿が溜まっていたら、その表層にメスを入れて

中の膿みを激痛を感じながらも掻き出さねばならない。

心の傷も同じで、私の場合は過去の出来事が

『虐待ではない、皆このような仕打ちを受けている』

と言う錯誤を掻き出して、その心の痛みをまた

再体験しなければならないのであろう。

そうしないと傷は治らないからである。

『過食嘔吐』・・・私は今までこれを敵視して憎く思っていた。

けれども摂食障害に至る経緯や、病症が出る時の心持ち、

想いを考えると、敵と見做してはいけない。

今日は疲れてしまってネガティヴになりつつあるが、

主治医の言葉を胸に刻み、落ち着きを取り戻したい。





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Last updated  2006.10.03 20:57:22
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