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カテゴリ:抑うつ感
朝、眠りに付くころから
ハラハラと雨が降り始めた。 そして起きた頃には 本降りになっていて、 車が道路の雨水を跳ね上げる音や、 屋根を叩きつける空の涙が 聴こえてきて、心が落ち着き そして哀愁を感じた。 雨の匂いに混ざって花の甘い香りがする。 吹き込んでくる風が心地良い。 しかし、何故か異様に寒くなってきて、 手がかじかんだ。 早速温風ヒーターを出した。 目が覚めてから、只管無気力で、 ミルクティーを飲みながら ぼんやり煙草を煙にしていた。 そしてゆっくりとシャワーを浴び 只管麦茶を飲む生活・・・ 代わり映えの無い生活・・・ 毎日同じ繰り返しで虚しいが、 しかし、変化がある事も拒んでしまう。 一体何がしたいのか、自分でも解らない。 私がしなければならない事は、 『こころを大事にすること』 であるのは分かっている。 でも、如何する事がこころを大事にしている事になるのか 漠然としすぎていて途方に暮れる。 過食嘔吐に走っている自分は、 決して自分を大事に出来ていないと思う。 身体を痛めつけ、傷つけているのであるから。 しかし、これは病症である。 だから無闇にその行為を責めたり、 自己嫌悪に陥って、自分の心を罵ったりしては ならないのであろう。 一旦過食が始まってしまうと、 前後不覚になる。只管嘔吐という 終わりを目指して突き進むしかない。 そして全てが終わった後、惚ける。 低血糖を防ぐ為に我慢して1口チョコを1粒 口に含ませる・・・。 そんな不毛な繰り返しがこの12年続いている。 摂食障害には、特効薬など無い。 唯、心を鎮静させる為の向精神薬類を 服用している。また、自分の身体に合う 抗うつ剤を服用する事で、日中の過食は 回避できている。 一時期7~8回繰り返していた過食嘔吐が 2~3回にまで減ったのは、家庭環境が 落ち着いた事によって、心に平穏の時間が 幾許か訪れる様になったからであろう。 きっと、妹達が家にいたままの環境であったら、 リストカットも止む事はなかったであろうし、 過食嘔吐の回数もそのままであったであろう。 苦しい事には変わりないが、 『落ち着いている時間』 を持てるようになった事で、 自分の心と向き合ったり、無理をしないようセーブしたり 出来るようになったのではなかろうか。 しかし、『寂しい・哀しい・心細い・辛い・苦しい』 と言った感情は心の中に巣食っている。 そしてそれを蔑ろにしてしまう自分がいるからこそ、 中々緩解へと向かわないのであろう。 上記の気持ちを優しく包み大事にしたいと感じる。 問題なのは、 “如何する事が大事に優しく包み込む事になるのか” と言う事である。 それを考えてばかりいると煮詰まってしまう。 なので、心身を休ませる事を優先するべきなのであろう。 もうすぐ私が住む地域では地方祭が始まる。 今日は雨の為、“提灯行列”は中止となった。 子どもたちが独特の言葉を一緒に発しながら 近所中を練り歩き、最後にお菓子がもらえると言う 行事である。私も子どもの頃はお菓子が貰えるのが嬉しくて 意気揚々と参加したものであった。 近くの公民館では獅子舞の練習をしている子どもたち。 一生懸命太鼓の練習をする子どもたち。 純粋に頑張っている姿は尊敬に値する。 私はゆっくりと身体と心を休めよう。 お薬を服用し、脳を休めよう。 そうする事で、明日への道をまた歩き出せるであろうと 思えてくるのである。 『過食嘔吐』は苦しい。けれど意味があるものなのだと感じる。 だからその病症を忌み嫌ったり、無理矢理排除したりしようと しないで、ゆっくりゆったりと 心の余裕を作っていきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.05 20:33:48
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