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カテゴリ:抑うつ感
地方祭最終日の土曜日。
朝から賑やかであった。 町内放送のスピーカーからは 祭囃子が流れ、 其処彼処で獅子舞の太鼓の音が 聞こえてくる。 余りにも太鼓の音が五月蝿くて、 半分眠りながら思わず 「五月蝿い!!」と 叫んでしまった程である。 ローカルニュースを観ていたら、 喧嘩神輿を見物に来た人々が 群れを成し、その中央で 神輿同士が何度もぶつかり合っていた。 凄い迫力であった。 変わったものでは、裸にふんどし一丁の 男たちが神輿を担ぎながら、 全速力で走って行くというものもあった。 しかし、夜になると静けさが戻ってきて、 物憂ささえ漂っている。 今頃、昼間盛り上がった人々は、 たけなわにお酒を酌み交わしている頃であろう。 私の時間は、祭りなど関係なく いつもの様に始まり終わる。 あんな人の群れの中に入ってまで 喧嘩神輿などを見るつもりは毛頭ない。 子どもの頃はお菓子が貰えるから、 喜んでお祭りに参加していたが、 いつの頃からであろうか・・・ 全く興味がなくなってしまった。 それより、静かに白く艶やかな 満月を眺めている方が快い。 心掻き乱されるような、喧騒の中には 入る余裕など無い。 そしていつも通り目覚めてからは ノンカロリーの飲み物のみで過ごす。 お腹が空いても、只管麦茶を飲む。 日中はこうしていつも拒食している。 だからなのか、夜の過食嘔吐は 凄まじいものになる。 半歩後ろに下がった所で自分を感じながら、 ただ黙々と食べ続ける・・・胃の限界が来るまで。 本当は最初の2~3口でお腹一杯だと 脳では感じているのに、心が只管 「食べたい、もっと食べなければ!」 と叫んでいるのである。 その叫びに応じるように、 私は益々食べ続けていく・・・ 吐き気を催すまで・・・。 昨日主治医から言われて気付いたのであるが、 私は『過食嘔吐に至るまでの心の動き』を 考えた事がなかった。 そこまで余裕が無かった。 「食べなければ!」 と突然脳から指令が下り、 それに従って、食べ始めるのであるからである。 しかし、原点に戻ってもう一度、 『何故食べたいのか?』 『どうして食べたくなったのか?』 『何故沢山食べたいと思うのか?』 『どうして今食べなければならないのか?』 と自問自答をする時間を取るべきであろう。 しかし、もう心は「過食嘔吐しなければ」という 極限状態に陥っているので、 自分に問いかけたとしても、止められる訳ではない。 病症であるのだから、そうして 過食嘔吐してしまう自分を受け止めて、 責めたり罵ったりしない事が大事であろうと感じる。 誰の心にも、 『寂しい・哀しい・心細い・辛い・苦しい・恐い』 等の想いがあるであろう。 けれども健康な人は、それらの想いを 上手く昇華しながら生きているのである。 私は小さな頃から病気であり、それらの想いを どう処理すれば良いのか、どう昇華するべきなのかが 分からないのである。 この想いを抱え、迷子のようにうろたえている。 でも、それらの想いは そこに在って当たり前のものであり、 在るからこそ人間らしいと言えるのではないであろうか。 まだまだ苦しみは多いし、毎日は辛く苦しい。 『過食嘔吐なんてしたくない!』と 強く思っても避ける事等出来ない・・・。 日暮れ後、祭りの終わった空気を感じながら いつものスーパーへと向かった。 公民館からは祭りが成功した事に喜び 酒を酌み交わす人々があり、でも拭い去れない 物憂い静けさも漂っていた。 『生きている』・・・これだけで疲れる毎日であるが、 これは多分、自分を大切に出来ていない証拠なのであろう。 どうしても自責の念に陥る毎日が、続いてしまう。 時には自分を赦し、優しい気持ちで心を包みたい。 そして、辛酸を嘗めるような毎日でも 大事にして過ごしたい。 その為には、自分に無理を強いる事なく、 ペースを掴んでゆっくりゆったりと 過ごす時間を大切にしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.07 20:38:16
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